日立女子中学生誘拐殺人事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目なユーザーたちが「日立女子中学生誘拐殺人事件」の項目を作っていたんですけどねぇ…。

日立女子中学生誘拐殺人事件(ひたちじょしちゅうがくせいゆうかいさつじんじけん)は、1978年に茨城県で起きた誘拐殺人事件である。

概要[編集]

1978年10月16日、女子中学生Aの家に身代金3000万円を要求する電話がかかる。しかし、この事件の1時間前にはAは死亡していた。このとき身代金を要求していたYは、中学校から下校していたAにドライブに誘うように声をかけて、車に乗せて人通りの少ないところに連れ込む。そこでクロロホルムを使って失神させた。なお、このときAを姦淫しようとしたが、未遂に終わっている。

遺体は、翌日の10月17日に草むらで首を絞められて窒息死しているAが発見されて、警察は身代金目的の誘拐殺人事件として捜査を開始する。その後、アリバイがないことや多額の借金を抱えていたことなどから捜査線上に浮上していたYを逮捕した。その後、身代金目的誘拐罪殺人罪で起訴する。

YはAに兄のように慕われているなど、良好な関係を築いていた。Yの妻とAの母親は姉妹で親戚関係にあったこともあり、Yは資産家であったAの家から資金援助を受けていたなど、家族ぐるみの付き合いをしていた。しかし、当時のYは、会社の経営がうまくいかなかったことや、韓国へ渡ってキーセン(妓生)と出会って愛人関係を維持しようとしていたことなどから、1395万円の多額の借金をしていた。

裁判経過[編集]

検察側は、結果の重大性と犯行目的の身勝手さから死刑を求刑。弁護側は、被害者は1人であり、Yには前科がなく反省もしているとして死刑回避を求めた。1980年2月8日、水戸地裁はYに死刑判決を言い渡した。判決では、犯行は計画的で被告に有利な事情を考えても死刑を選択せざるを得ないとした。この判決に対して弁護側は控訴した。

1983年3月15日、東京高裁はYの控訴を棄却。この判決に対して弁護側は上告するも、1988年4月28日に最高裁は上告を棄却して死刑が確定する。

死刑確定後[編集]

判決後、死刑囚となったYは再審請求をして、誘拐は計画的なものではなかったと主張。身代金目的の誘拐殺人を否定して、女子に対するいたずら目的の犯行だったと主張した。その後、再審請求中だったYは、2013年6月23日に東京拘置所で死亡が確認された[1]。Yはくも膜下出血で拘置所内の病院に戻されて治療中だった。享年74歳。

脚注[編集]