日本橋地下化計画

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日本橋地下化計画(にほんばし ちかかけいかく)は、首都高速都心環状線日本橋上空を通る高架部分を含む一部を地下化する計画。決して日本橋そのものを地下化する計画ではない。日本国道路元標の存在する日本橋上空を埋め尽くす首都高速道路1.2kmを地下化することで、景観の改善に寄与するもの。

現況[編集]

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首都高速都心環状線は1962年から段階的に開通、それからおよそ60年を経ている。設備老朽化が進んでいるうえ、1964年の東京オリンピックに向けて建設した当時の設備を用いており、現行の道路構造令による幅員基準を満たしていないなど、構造上の問題が多い。そのため、施設の大幅な造り替えを含む大規模更新工事が計画されている。[1]

これに合わせ、再開発まちづくり構想のある日本橋周辺を、景観回復を含む大規模な造り替えを実施し、地下化するとともに、大規模なルート変更を行う計画となる。

計画の経緯[編集]

首都高日本橋付近の地下化計画は、2001年3月14日の扇千景国土交通大臣による「首都高の高架に覆われた日本橋の景観を一新する」という発言に端を発する。これを受け、「東京都心における首都高速道路のあり方委員会」が発足、地下化や別所への移転整備、ビル内を通過する形での整備などの提案をとりまとめた。[2]

その後、「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が発足。[3]民間主導での地下化が提案された。しかし、その後は財源などの問題もあり、計画は進捗しなかった。

しかし、大規模更新の必要が生じると、周辺の都市再生プロジェクトの推進もあり、日本橋の景観向上機運が高まった。2017年には小池百合子東京都知事から「日本橋周辺のまちづくりと連携し、首都高速道路の地下化に向けて取り組む」と発表があり、地下化計画が推し進められることとなった。[4]

都市計画変更[編集]

2019年4月、首都高速都心環状線(法令上は都市高速道路第4号線およびその分岐線)の都市計画変更素案が発表され、日本橋地下化の実行プランが明らかになった。それによると、新しい交通ルートは以下のようになる。[5]

  • 日本橋付近の高架を撤去し地下化、これは都心環状線ではなく首都高速6号向島線のみに接続される。
  • 都心環状線のルートは日本橋地下ではなく、現在の首都高速八重洲線を通ることとなる。これに伴い、呉服橋出入口、江戸橋出入口、(八重洲線)常盤橋出入口は廃止となる。
  • 八重洲線を通過した交通は、そのまま東京高速道路(KK線)を通り、汐留JCTから都心環状線に入る。

しかし、八重洲線から先の東京高速道路線は、商業施設と一体的に整備されており、大型車両の通行に適さない。そのため、商業施設テナントをいちど撤退させ、補強もしくは造り替えを行うか、新たなトンネル築造による別線の整備も行うこととなる。

「首都高都心環状線の交通機能確保に関する検討会」によると、東京高速道路線の地下を通過する形で1車線のトンネルを上下1本ずつ掘削、八重洲線の終点と京橋JCTを繋ぐ計画である。[6]

批判[編集]

この計画には、おもに2つの観点からの批判がされている。ひとつは資金面であり、大規模な地下化工事に伴う資金投入は無駄である、という問題である。計画当初発表によると5,000億円、現在では3,700億円と試算されている事業費は膨大であり、また東京高速道路線を迂回させる別線整備を含めると必要事業費はさらに増大する。

また、首都高速道路が作り出す光景は、都市内を縫うように走る東京の車両交通光景を象徴するものであり、古くから日本国の道路の重要な結節点である日本橋を、首都高速道路が通過するのは当然ともいえる。地下化が行われると、日本橋から「首都高」という東京の道路ネットワークが(少なくとも視覚的には)消えることになる。

首都高研究家・清水草一は、首都高速道路が作り出した都市内高速道路という光景を日本の都市計画における重要な発明ととらえ、様々な作品にインスピレーションを与えている光景を破壊するべきではない、と指摘している。[7]

交通技術ライター・川辺謙一は、著書「東京道路奇景」のなかで、「東京の交通や都市の発展を支えた歴史が刻み込まれ」ていると述べ、「むしろこの高架橋があるほうが『東京らしい』と言えるのではないだろうか」、と日本橋上空の首都高高架の持つシンボル性に言及している。

そのほか、八重洲線から南の東京高速道路線部分では、直角に近いカーブを含む線形の1車線道路と、1車線新造トンネルで交通を受けもつ形となり、現状の交通量をきちんと捌ききれるのか疑問が残る。

出典[編集]