新宿西口思い出横丁
ナビゲーションに移動
検索に移動
新宿西口思い出横丁(しんじゅくにしぐちおもいでよこちょう)は新宿駅の大ガードをくぐり西口に向かう路地の横に立ち並ぶ長屋造りの飲み屋街商店街である。 別名「ションベン横丁」「やきとり横丁」「新宿西口商店街」とも言われる。
概要[編集]
戦後直後に焼け野原にできた露天商のマーケット(闇市)が前身である。約60店舗の飲食店やチケットショップなど約80店舗が、630坪に出店する。店先で焼き鳥を焼く店が多いため「焼き鳥横丁」と言われる。通路の両側に間口の狭い店舗が並ぶため「ハーモニカ横丁」とも呼ばれる。一般には「ションベン横丁」と呼ばれることが多い[1]。
沿革[編集]
駅前に衣類品・靴・石鹸その他の日用雑貨を売る露天商があり、おでん・ふかしいも・ゆであずき・天ぷら・海草の佃煮・古本を売る、よしず張りの屋台が30-40十軒並んでいた。しかし、火事で全焼する。その後、戸板一枚で区切った露店商のマーケット、1946年ごろ、統制経済時代の闇市「ラッキーストリート」が出現する。各店の多くはもつ焼き屋を始めた。昭和22年頃は、統制品に対する取り締まりが厳しかった。ラーメンや今川焼きに使ううどん粉が統制品であった。
1953年頃、再開発の気運をつかんだ地上げ屋が暗躍すると、各店主たちは結束して組合を組織する。交渉の末に地主から土地を買い取ることに成功し、横丁はテキヤ支配と不法占拠状態が解消され、取り壊される心配のない堂々たる飲み屋横丁となった[2]。
1955年頃にはホステスが焼酎と焼き鳥で接客するやきとりキャバレーやきとりキャバレーが現れる。1959年頃には約300軒の店舗が、不法占拠により立ち退いた。
基本事項[編集]
公式ページ[編集]
注[編集]
- ↑ 営業自粛要請下の“思い出横丁”」先見経済,2021年2月
- ↑ [1]現代ビジネス,2020年11月12日