文法
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文法とは、言語に限らずメディア(情報媒体)全般における基本原則でありお約束である。基本ではあるが、もちろんそこに「遊び」「洒落」などが入る余地があるわけであって、日本においてはこれには数百年の伝統がある。
概要[編集]
メディアには「発信者」と「受信者」という関係性があるため、映画やマンガにも「文法」がある[1]。
映画にはシークエンスやショットやフレームなどの切替えがあり、マンガにおいては(石ノ森章太郎あたりの「映画的手法」が開祖とされる)コマ割りなどによる手法の展開があった。これが一般化した結果としてTVアニメなどを経て劇場版アニメに逆輸入され、現在に至る。
日本映画における文法[編集]
日本映画における文法は、海外の映画作品に影響を与えた。プロット、ストーリー運び、フレーム割り、アングルなどがあるが、画角とカメラ距離まで計算に入れた「寄り」もある。
よく例に挙げられるものとしては、黒澤明の『天国と地獄』のラストの面会場面がある(ネタバレになってしまうので記述は避ける)。
スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』は昭和二十九年の初代『ゴジラ』のオマージュ作品と謂われているが、その中にブロディ署長が海岸で鮫を目撃する場面で、台車とズームレンズを用いて「寄り」と「画角」とピントを組み合わせた画面効果は映画通には評価が高い。また、円谷英二は時代劇で台車以外にスモークをよく使ったことが知られており、その影響は『ブレード・ランナー』における空気感などにも影響を与えているという意見もある。
脚注[編集]
- ↑ 夏目 房之介『手塚治虫はどこにいる』 (ちくま文庫 な 13-3)
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- ダニエル・アリジョン/岩本憲児『映画の文法 ― 実作品にみる撮影と編集の技法』