応量器
応量器とは、主に禅宗の佛寺で用いられる食器である。一般的には五つ重ね、まれに六つ重ねのものもある。
そもそもが衣とともに粗末なものとされ、「衣鉢を継ぐ」という言葉もある。
応量器とともに膝掛・刷(字面からブラシを想像するが、三つの穴が空けられた箆である。布を縫いつけてブラシともした)・浄巾(日本でいう布巾)・箸なども附属する。
概要[編集]
いわゆる「応量器」は、漆塗り(多くは加賀塗り)の漆器であるが、禅宗本来の意義からすると、べつに何でもいい。ただし、禅宗系の佛教が広く信仰されている地帯と日本では衛生状態も衛生観念も異なり、「清める」ことに対する意識が違うので、日本独自の形式はあっていいはずであり、でなければゼンメルワイス先生も浮かばれまい。日本では手洗いの手洗いの普及は欧米よりも早かったという。
実際にはテーブルクロスやお盆に相当する「鉢単」というもの(幅一尺、奥行八寸というから週刊誌くらいか?)がある。縦横乙字形に三つ折りに降りたため、厚紙に渋か漆を塗って作るという。
ただし現在では「水板」というける皿もあり、浄巾や箸袋などを置く台とするらしい。
そんなわけで、応量器といえもどもただの食器であり、清潔かつ大事に(無作法でないように)使うことに意味がある。黒漆に拘る必要はないシエラカップと象印の保温弁当箱と「snow peak の武器三点セット(ナイフ・フォーク・スプーン)」と箸でも一向に構わないし、給食用や病院用の器と変わりはない。
宗派による違い[編集]
「応量器」は曹洞宗の呼び方で、臨済宗では「持鉢(じはつ)」、黄檗宗では「自鉢(じはつ)」と呼ぶという。要するに携帯用の入れ子になった器でしかない。「材質は鉄または土が本則とされ、木製は禁じられているが、漆をかけたものは鉄製とみなすとして、一般には黒塗りの漆器であるとされる。」というと[1]うっかり信じる人もいたりするが、たぶん嘘である。「腐りやすいものをは不可」という話だろうが、漆というものはかなり安定していて南方の漆は日本の漆と違ってもともと黒いので、下地である器を作るのが大変だぁら。とりあえず漆でも塗っておこうという話であろう。蒔絵のような贅沢品はダメだろうが、日本であれば下地にベンガラを塗るくらいはOKだろう。使い続ければ時代がついていい感じになる。
実用性[編集]
漆は「耐久性のある樹脂」である。漆は漆であり、それ以上かつそれ以下でもある。「たまたま利用できた素材」であって、べつに給食や病院用に使われている PEN 樹脂であってもまったく問題はなく、「スタッキングできて、食洗器で洗え、色移りがしない」だけの話である。
応量器に残念なところがあるとすれば、基本的に「鉢」すなわちボウルであるため「皿」としては使われないことと、ラーメン丼のような大丼がないことである。
参考文献[編集]
- 『美の座標』
- 松田権六『うるしの話』
脚注[編集]
- ↑ というか、WikiPediaに書いてあったりすると