徐自強事件

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徐自強事件(スズチャンじけん)は、1995年に台湾で発生した誘拐殺人事件であり、共犯者として起訴された徐自強が冤罪で死刑囚となった事件として知られる。

概要[編集]

1995年9月1日、不動産会社に勤める黄春舟が身代金目的で誘拐されて殺害される事件が発生。1995年9月25日、容疑者の一人黃春棋が逮捕。黃春棋は三人が事件に関与していると自白。事件とは無関係だった徐自強が誘拐殺人事件に関与したと供述した自白書が作られている[1]。他の2人の容疑者は死刑執行を遅らせるために徐自強が犯人であるという虚偽の自白をしていた。

1995年10月22日、陳憶隆が逮捕されて4人目の容疑者として黃銘泉が事件に関わっていると自白。1995年11月17日、徐自強、陳憶隆、黃春棋、黃銘泉が事件にかかわっていると起訴される。なお、1995年12月16日に黃銘泉はタイで死亡している。

裁判経過[編集]

1996年5月16日、第一審で陳憶隆、黃春棋は死刑判決を言い渡される。1996年6月24日、逃亡していた徐自強は弁護士とともに出頭。無罪を主張するも1996年11月23日、徐自強は他の被告と共に士林地方裁判所の第一審で死刑を言い渡される。

1997年から1999年にかけて台北高等裁判所で行われた二審で徐自強を含めた3人に死刑を言い渡される。1999年11月16日、二審で徐自強を含む4人の死刑判決が確定。

2000年4月27日、最高法院で徐自強ら3人の死刑が確定した。

死刑確定後[編集]

死刑判決確定後、民間司法改革基金会(略称:司改会)も支援し、2000年5月16日に誘拐殺人事件で死刑判決を受けた陳憶隆が徐自強は事件とは無関係という趣旨の供述を始める。これにより、違憲審査で高裁で審理が行われ、2009年から無罪判決を求めて裁判がおこされる。

2010年3月31日、最高法院は高等法院での審理が必要と判断。2011年11月25日、誘拐に関わっていたと再び判断して徐自強に終身刑を言い渡す。2012年3月8日、審理が不十分だとして最高法院は再び判決を取り消し。2012年5月18日、誘拐に関わったとして台湾高等法院は徐自強に再び終身刑を言い渡す。2013年4月3日、最高法院はこの判決を取り消して再び台湾高等法院での審理が始まる。

2015年9月1日、台湾高等法院は無罪判決を言い渡す。検察は上訴。2016年10月13日、最高法院は上訴を棄却したことで徐自強の無罪判決が確定した。この間に8度の死刑判決、2度の終身刑を受けて21年の裁判の末の無罪判決だった。

脚注[編集]