幸田ゑん子

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幸田 ゑん子 (こうだ えんこ、1881年 - 1908年3月22日)は明治時代の女性。湯上がり美人妻強姦致死事件の被害者。幸田えん子あるいは幸田エン子と表記することもある。

生涯[編集]

美人の人妻[編集]

ゑん子は容姿端麗で、小柄で色白、目がぱっちりと大きい優しい雰囲気の美女だったという。また、琴の名手として有名だった。大蔵官僚野口米次郎と結婚したが、その後、離婚。1907年3月23日、26歳のゑん子は、高級官僚である下谷電話交換局長の幸田恭(32歳)と再婚した。夫婦はとても仲睦まじく、ゑん子の美貌は近所でも有名になるほどだったという。その後、10月頃に恭との性交渉により妊娠した。道京している恭の弟である大学生・恕と叔母のタカもとても喜び、ゑん子のことを労った。四人は京府豊多摩郡大久保村西大久保(現在の東京都新宿区大久保)に住んでいた。

強姦される[編集]

ゑん子はいつも夕方頃に近くの銭湯「森山湯」で入浴していた。1908年3月22日、普段と違い夜の八時ごろに森山湯を訪れたゑん子は、その美しい体を洗い、しばしのあいだ風呂でくつろいだ。妊娠五ヶ月の彼女のお腹はすでにひと目でわかるほど大きくなっていたと思われる。結婚記念日を翌日に控え、新しい命を宿していた彼女は、幸せのまっただ中にいた。着物と羽織を着た彼女は、八時半頃に森山湯を出た。そして、翌日、死体となって空き地で発見された。

ゑん子は暗い夜道を歩くなか、空き地に引きずり込まれて押し倒されたのだった。そして、騒がないように手ぬぐいを口に押し込まれた彼女は、衣服をはだけられ、男性器を挿入された。魅力的な小さな肢体を弄ばれたゑん子は、絞殺されてあおむけに倒れていた彼女の身体には、性的暴行を受けたあとがはっきり残っていたという。こうして27歳の美人妻は胎児とともに命を落とした。

その後、容疑者として植木職人の池田亀太郎(当時35歳)が逮捕された。彼は女湯ののぞきの常習犯であり、そのなかでゑん子の美しい裸体を見て欲情し、凶行に及んだのだという。冤罪であるともいわれたが、この池田のあだ名が「出歯亀」だったことから、のぞき魔のことを出歯亀と呼ぶようになったという。

脚注[編集]

関連項目[編集]