工藤美代子

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工藤美代子(くどう みよこ、1950年3月27日ー )は、ノンフィクション作家。

人物[編集]

ベースボール・マガジン社の社長だった池田恒雄と、東京両国の工藤写真館の娘だった工藤初江の次女として東京に生まれる。チェコスロバキアのカレル大学に学ぶ。父・恒雄は、反共主義者だったが東欧の文学が好きで、恒文社を興して東欧文学を紹介していた。だがチェコでスパイにされかけるなどしたため中退して帰国。18歳年上で妻がいたブリティッシュ・コロンビア大学教授の鶴田欣也と恋に落ち、駆け落ち同然にカナダ・ヴァンクーヴァーへ渡るが、自分の仕事を持てと鶴田に言われ、スーザン・フィリップスとの共著『晩香坡の愛:田村俊子と鈴木悦』を五年がかりで書き上げ、1982年に刊行し、ノンフィクション作家としての歩みを始める。『写婚妻』など、女性問題を中心としたものが主だったが、次第に名もあがり、工藤写真館はよく力士の写真を撮っていたことと、自身が相撲好きだったことから、双葉山など力士についてのノンフィクションもやるようになり、さらにモンゴルへ渡って取材していたのは、のちにモンゴルから大相撲に力士が来るようになったことと関係があったかは分からない。

日本とカナダを往復する生活が続き、1992年に鶴田と離婚するが、これは鶴田が言い出したことだという。その後、元編集者の加藤康男と再婚するが、そのあたりから、書くものが皇室関係、笹川良一近衛文麿岸信介など右翼的なものになっていく。また「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長を務めたこともある。その一方、お化けを見る体質だというので怪談もの、またセックスものも書いていたが、2009年に『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真相』を書いて、実際に朝鮮人による蜂起計画があったと書いた。これは批判を浴びたが、のち文庫化に際して著者名が夫の加藤に変わるという珍事が起きた。一方うつ病を患ったことに関する著作もある。

ラフカディオ・ハーンに関する著作もあるが、早大名誉教授でハーンや比較文学を専門とする池田雅之は母方の従兄、姉・晶子の夫は猪谷千春で、その子が猪谷千香である。