島田帯刀の碑

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島田帯刀の碑(しまだたてわきのひ)とは、福島県双葉郡広野町上北迫にある楢葉八幡神社境内に存在する碑である。

概要[編集]

島田帯刀とは、小名浜支配を任されていた代官である。通称は八五郎といわれるが、この人物には不明な点が多い。

伝わるところによると、天保5年(1834年)の天保の大飢饉でこの地も大凶作に見舞われ、領民は飢餓に苦しんだ。これを見た帯刀は自らの独断で蔵米を開放して窮民の救済に当てた。

ところが帯刀は同年のうちに死去している。死因は不明だが、責任をとって自害したとも、処罰されて殺されたともいわれている。また、一説に生き延びていたとする説もあり、このあたりはよくわかっていない。

この帯刀の救済のおかげで生き延びた領民たちは後年に感謝の意を込めて、帯刀の碑を建立した。なお、他の地にも帯刀の碑と見られるものが存在しており、領民から手厚く感謝されていたことが伺える。

アクセス[編集]