岩窟ホテル

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
Jump to navigation Jump to search

岩窟ホテル(がんくつホテル)とは、吉見百穴の近くの吉見丘陵にある洞窟のことであり、宿泊施設ではない。

概要[編集]

  • 近くの土産物屋の先祖が、岩山に掘った洞窟で、内部はホテルのような構造になっていると言えなくもないような雰囲気である。
  • 岩窟を掘ってるから岩窟ホテルと呼ばれるようになったという俗説もあるが、掘った人は、本気でホテルにすることも考えていたようである。
  • ロビーとおぼしい空間や階段なども造られているが、内部は湿気が酷くホテルとして使うのは現実的ではない。風雨を防げる上に温度も一年中変化がなく、野宿するより遥かにマシではある。
  • 洞窟内に効いている天然の冷房には除湿機能がなく、岩窟ホテル内側の壁は常に湿っており、雨漏り(否、地下水漏り)もある。池のように水が溜まっている所もある。ザリガニ程度なら飼えるに違いない。
  • 入場可能な頃は、洞窟内に水槽が置かれ、魚が飼われていた。だが「岩窟ホテルは水族館である」と言うのは幾らなんでも言い過ぎである。掘った人の子孫が水槽の置き場に困ってホテルのロビーに水槽を置いていたに過ぎない。また、洞窟内は温度変化が少なく、水槽の置き場として適していたようである。
  • 敷地内には、中島飛行機の地下工場跡の開口部がある。地下工場跡の洞窟の方が岩窟ホテルよりも遥かに大規模である。
  • 地下工場跡は非常に大規模で、松山城跡と呼ばれる山の地下に留まらず、武蔵丘短期大学付近の地下にまで及んでいると推定される。
  • しかし、松山城の規模は不明であり、百穴射撃場の裏山にも人為的に加工された形跡がある岩山や、古井戸らしき穴も残されており、それらが城の一部であったとすると松山城は意外と広大な城で、武蔵丘短期大学などは松山城跡の一画に建てられているに過ぎない。
  • 以前は入場料を払って入ることができた。当時は岩山にホテルのような絵が書かれていた。今は閉鎖されている。
  • 温度が一定のため、一部は野菜の貯蔵庫として使われている。

付近の伝説[編集]

  • 鉢形城の殿様が松山城に来るので、松山城のお姫様は滑川の水面に自分の姿を映してクシで髪の毛をとかしていた。鉢形城の殿様は、松山城のお姫様の婚約者であった。
  • お姫様は大切なクシ(今なら百均で買えるが)を滑川に落として見付からなくなってしまった。姫が「滑川の水は澄んではならぬ」と言ったので滑川の水はいつも濁っているのだという。

伝説と地形の矛盾を考える[編集]

  • 松山城跡とされ城山と呼ばれる山は岩窟ホテルの真上付近にある。しかし、岩窟ホテルの前を流れる川は滑川ではなく市ノ川である。
  • 滑川は何百メートルも上流(北)で市ノ川に合流して消滅してしまうのである。
  • 松山城のお姫様が滑川の水面を鏡代わりにしたいう伝説の真偽はともかく、そのような伝説が生じるからには、松山城は(少なくとも、城中で姫が住んでいた場所は)どう考えても市ノ川との合流地点よりも上流のはずである。昔は川の位置が多少違っていたとしても、岩窟ホテルの前に滑川が流れていたとは考えられない。
  • 松山城の姫が住んでいたのは岩窟ホテルから1㎞程北の百穴射撃場付近であった可能性が高い。
  • 積み上げられた石垣のようなものは一切なく、松山城は山中や崖の上に離れが点在する武家屋敷のようなものだったのであろう。入り口付近の石垣は近年に作られたもので、昔からあったものではない。
  • 松山城は室町時代から江戸時代初期まで続いた城であり、城主は上田氏、難波田氏、扇谷上杉氏、太田氏、桜井松平氏と何回も交代していたのである。城主が代わる度に規模や拠点の位置も変化していったと考えるのが妥当と思われる。