岩屋岩陰遺跡
岩屋岩陰遺跡(いわやいわかげいせき)とは岐阜県下呂市金山町にある巨石群のことである。岐阜県の指定文化財である。
概要[編集]
金山町には縄文時代の遺跡が多く存在している。住居跡が確認された遺跡は5ヶ所有る[1]。岩屋岩陰遺跡はそのうちの一つである。岩屋ダムの下流300mに位置し巨大な岩がひさしのようにつきだした巨石等多数の巨石群により形成されている[1]。また、1994年(平成6年)ごろから岩屋岩陰遺跡およびその周辺に点在する巨石について調査が行われ、天体運行を観測した痕跡が見つかった[注 1][1]。
巨石群の配置[編集]
巨石群は岩屋岩陰遺跡の巨石群、そしてそのすぐ隣の線刻石のある巨石群、および、少し離れた山地の中に東の山巨石群がある。岩屋岩陰遺跡と線刻石のある巨石群は谷間(高度355.7m)にあり、東の山巨石群は他の巨石群より200mほど高い山の中にある[2]。
縄文人の太陽観測説[編集]
1997年に、地元の画家である小林由来と同じく地元の写真家である徳田紫穂らにより、巨石に刻まれた線刻が発見された。その後、冬至の朝日を観測する東の山巨石群を発見される[3]。
年間を通しての太陽観測と、15年間にわたる三ヶ所のスポット光観測およびデータ分析に基づき研究したところ、約128年周期の太陽観測が可能である巨石群であるとの結論に到達した[3]。調査には東京大学東京天文台教授であった斎藤国治や帝塚山学園天文台長であった後藤昌男等もアドバイザーとして参加している[4]。 観測結果によると1太陽年だけで無く、4年周期の閏年、128年周期の太陽のずれも測定出来る太陽観測施設であったと結論づけている[4]。
また、これらの巨石は7000万年前の火山噴火によって出来たものである事が判明しているが、回りの岩石との比較調査の結果、火山噴火によって飛来したものでは無いことも明らかになっている[4]。縄文人が太陽観測のために巨石を移動させたのか、氷河による迷い石、馬瀬川の流れによって上流から運ばれてきたものかは明らかになっていない。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 夏至、冬至の太陽運行等
引用[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 長瀬茂樹 二村清 大島明 細江利彦 田口方一 高木二朗 『続 金山町誌』 波多野寿勝 続金山町誌編集委員会、岐阜県下呂市、2005年10月1日、1st。
- 小林由来 徳田紫穂 『日本初!古代太陽暦の証を発見金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』 株式会社 三五館、2016年9月28日、1st。ISBN 978-4-88320-677-3。