山勢松韻
山勢松韻(やませしょういん)は山田流筝家山勢派の家元である。初代から六代を数える。山田流御三家のひとつ。(山田流御三家:筆頭は山登家、山木家、山勢家)
初代家元[編集]
1791年(寛政3年)、越後生まれ。江戸で山田検校に師事し、文政2年白勢検校のもとで検校となる。山田流御三家山勢家初代家元。安政6年8月5日死去。69歳。名は松風一。作品は「常磐の栄」「月の鏡」。
二代家元[編集]
本名は杉本軽(慶)風一。1812年(文化9年)、越後生まれ。江戸時代後期の山田流箏曲家。山田流山勢家2代家元。江戸で初代に学ぶ。山勢検校を名乗る。1868年(慶応4年)2月13日死去。57歳。作品に「かざしの雪」。門人に山勢松韻(三代)、山登万和。
三代山勢松韻(初世)[編集]
本名は吉田専吉、仟吉。1845年(弘化2年)7月28日生まれ。二代山勢検校に師事し山清勾当、山勢勾当などを経て、1868年、山勢松韻と名乗る。1880年文部省音楽取調掛に出仕。1891年、東京音楽学校教授。1888年、山登万和、山登松齢、2世山多喜松調らと五線譜による初の楽譜集『箏曲集』(音楽取調掛撰)を編集。作品に「朧月」「花の雲」「四季の友」など。門下に初世萩岡松韻、今井慶松 1908年(明治41年)9月9日死去。
四代山勢松韻[編集]
初代萩岡松韻(1864~1936年)。本名・萩原伊之助、のち源意。父は紀州藩士。4歳で失明。8歳で伊勢松坂で大松検校に師事し地歌筝曲を習い、1871年萩岡勾当を名乗る。1874年から山田流筝曲を初代山勢松韻(山勢家3代)に師事。1887年東京盲唖学校助手。師の没後1910年より4代目松韻を名乗る。二世山勢松韻が成人するまで山勢派をあずかる。
五代山勢松韻(2世)[編集]
大正5(1916)年1月20日生まれ。母方の大伯父三代目山勢(初代山勢松韻)ふくの養女。本名・木原良子。三輪田高女〔昭和8年〕卒。初代萩岡松韻、今井慶松らに師事。1936年(昭和11年)、今井慶松の立会いで山勢派5代目家元を継ぎ、五代山勢松韻を襲名。三輪田学園箏曲講師。平成12年家元を引退し、崇華を名乗る。平成15(2003)年11月5日没。
六代山勢松韻(3世)[編集]
本名・木原司都子。1932年12月、東京市牛込区生まれ。幼い頃から五代山勢松韻(実姉、三世山勢松韻家の養女)に箏曲を習う。杵屋系の師より長唄、三味線の教えを受ける NHK邦楽技能者育成会を経て東京藝術大学音楽学部を卒業[1]。中能島欣一教授に師事[2]
- 1964年 大学院在学中、米国州立ワシントン大学で箏曲講師を務める
- 1968年 大学院を修了、在学中に中能島欣一に師事、のちに清元を清元志寿太夫に師事
- 1986年、87年、89年 文化庁芸術祭賞を受賞
- 1996年 芸術選奨文部大臣賞を受賞。
- 1998年 紫綬褒章受賞。
- 2000年 六代山勢松韻を襲名。
- 2001年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
- 2002年、新宿区名誉区民に選出。同年日本芸術院賞受賞。
- 2008年 日本芸術院会員。
- 2009年 日本芸術院賞受賞、日本三曲協会会長となる。
- 2013年、文化功労者。
参考文献・注釈[編集]
筝