山下洞人
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山下洞人(やましたどうじん)は、沖縄県で発見された日本最古の新人の人骨化石である。
概要[編集]
1962年(昭和37年)に旧石器時代の洞穴遺跡が発見された。穴は幅約1.2m、高さ約3m、奥行き約5mと小さな遺跡であった。 1968年(昭和43年)の第二次発掘調査で、第VI層の上部から3点の化石人骨片が出土した(渡辺 1971a.b、高宮・金武・鈴木 1975:129)。報告者によると、これらの「人骨」と「石器」が出土した層準は、ほぼ同じ時期とされ、日本で初めて両者が共伴した重要な遺跡とされる。
この遺跡から出土した化石人骨は山下洞人と名付けられた。約3万2000年前の、8歳ぐらいの女児と測定された。日本国内最古の人骨である。第Ⅲ・Ⅴ層から出土した木炭の年代を測定すると、今から約3万2千年前と判明した。その時代に山下洞人が住んでいたことになる。この洞穴遺跡は「山下町第一洞穴」と呼ばれ、遺跡沖縄県に数万年前の旧石器時代から人が住んでいたことを証明するものとなった。推定年齢は6歳で、大腿骨には古代型人類とホモ・サピエンスの特徴が入り混じっている[1]。「人骨」と「石器」が出土した層準は、ほぼ同じ時期とされた[2]。第III・V層に包含される木炭片を、東京大学で放射性炭素による年代測定を行った結果、32,100±1,000B.P.(TK-78)と測定された[3][4]。
1996年(平成8年)、アメリカの2人の人類学者の研究では、この人骨は古い時代の特徴を合わせ持つ、世界的に注目される資料であると評価されている(松浦1997:30)[5]。