小林幹治
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小林幹治(こばやし かんじ・みきはる、1933年7月27日ー2004年5月31日)
人物[編集]
埼玉県深谷生まれ。学習院大学文学部英文科卒、光文社に入り、野ばら社から歌や詩の編纂書を刊行する。野ばら社の社長の息子が大学の友人・志村建世だった。るがのち独立してネームプレートを作る小林製作所を設立。志村がNHKで「みんなのうた」を担当していたため、1962年から66年まで英語民謡などの訳詞を行った。息子は声優の小林顕作。
作詞[編集]
- 1962 9月 川で歌おう(ラサ・サヤン)インドネシア民謡
- 10-11月サモア島の歌 ポリネシア民謡
- 11月 踊ろう楽しいポーレチケ ポーランド民謡
- 12-63年1月駅馬車 アメリカ民謡
- 1963 3月 春が呼んでるよ(ヤシネック) ポーランド民謡
- 4-5月 赤い河の谷間 アメリカ民謡
- 8月 海のマーチ 「コロンビア・大洋の宝」デイヴィッド・T・ショー
- 10月 たのしいショティッシュ スウェーデン民謡
- 12月 みかん畑で ポーランド民謡
- 1964 6月 こんにちはやまびこさん ターナー作曲(非みんなのうた)
- 9月 聖者の行進(聖者が町にやってくる)アメリカ民謡(「リズムにのって」弘田三枝子ほか)
- 12月ー65年1月 陽気にうたえば メキシコ民謡
- 1965 3月 ゆかいな牧場(イーアイ・イーアイ・オー) アメリカ民謡
- 4-5月 輪になっておどろう(イレ・アイエ) インドネシア民謡
==著作==