寝屋川市1歳8ヶ月女児虐待死事件

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寝屋川市1歳8ヶ月女児虐待死事件(ねやがわしいっさいはちかげつじょじぎゃくたいしじけん)は、2010年に大阪府寝屋川市の女児が死亡した事件。

概要[編集]

2010年1月27日午前、寝屋川市高柳のマンションに住む1歳8ヶ月の女児Aが意識不明となる心肺停止となって、病院に搬送された。顔面にタバコを押し付けたような痕や全身に痣のようなもの、顎の骨折が発見されたため、通報を受けた大阪府中央子ども家庭センターが保護。女児はひどく痩せた状態だった。同年3月7日にAは入院先の病院で硬膜下血腫による脳腫脹(頭部の強い衝撃で脳が腫れることによる)で死亡した。

2010年4月9日、警察はAの両親B、Cを虐待によって死亡させたとして傷害致死容疑で逮捕する。逮捕容疑は、1月26~27日ごろにマンションで三女の頭部を平手で殴り床に打ちつけるなどしてAを死亡させたとするもの。父親Bは、「拾い食いやお茶をこぼしたときにしつけで平手50~100回くらい頭をたたいてきた」としながらもAの死亡原因は暴力ではないと容疑を否認。母親のCは「何もやっていない」と容疑を否認した。捜査の過程で、虐待に関して次のような証言なども出てきている。

  • 2009年2月、市職員が自宅を訪れたときにAを含む3人姉妹全員が下半身はオムツだけだった。
  • 病院に搬送された時に、肉まんがAののどにつまっていた。当時のAは、顎の骨折によって肉まんを食べられるような状況ではなかったとみられることから、両親による虐待を隠すための隠蔽だと疑われている。

裁判経過[編集]

2012年3月21日、大阪地裁斎藤正人裁判長)は、求刑を超える懲役15年(求刑は懲役10年)の有罪判決を言い渡した[1]。弁護側は「Aは転落などによる事故で死亡しており、暴行とAの死亡は無関係」としてB・Cの無罪を主張していた。判決では、医師の証言やAの負傷した状態から、父親だったBによる暴行でAが死亡したものと認定。母親のCも「暴行を容認していた」として、共謀していたと認定した。量刑理由では、「本来は子供を守る立場であるはずの両親が暴行によって死亡させた」とした上で、「児童虐待は大きな社会問題となっており、厳しい刑罰を科すべきだ」として、求刑を上回る判決となった理由を述べた。弁護側は、判決を不服として控訴した。

2013年4月11日、大阪高裁的場純男裁判長)も一審判決を支持。判決では「医師や専門家の証言などによって、Aが暴行で死亡した」と認定。弁護側が「懲役15年が過去の量刑傾向からみても重すぎる」と主張していた量刑についても、「検察側の求刑を上回っているが、重すぎて不当とは言えない」として弁護側の主張を退けた。この判決を不服として、弁護側は上告した。

2014年4月21日、最高裁第一小法廷白木勇裁判長)は、弁論を開くことを決めた[2]

2014年7月24日、最高裁第一法廷(白木勇裁判長)は一審と二審の判決を破棄。両親共々減刑して、父親のBに懲役10年、母親のCに懲役8年を言い渡した。裁判員裁判の量刑判断が最高裁で覆ったのは初[3]。判決では「裁判員裁判の判断は尊重するべき」としながらも、「他の裁判結果との公平性は保持されなければならない」とした。

事件の対応[編集]

2010年10月、「大阪府社会福祉審議会児童福祉専門分科会 児童措置審査部会 点検・検証チーム」によって「寝屋川市・門真市における幼児死亡事案検証結果報告書」が提出されている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]