学校創立記念誌

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学校創立記念誌とは、学校の節目となる年に、年表形式の学校沿革史、学校や生徒の集合写真、卒業生・教師・関係者の回顧談、教育委員会や校長・学長や地元の市長・知事・政治家らの祝辞などをもって編纂される学校史あるいは学校書誌のことである。

学校創立記念誌・事業所記念誌と商業出版界[編集]

学校創立記念誌は、学校あるいは学校OBが主体となり編集・発行されている。21世紀のこんにち、利潤追求を目的とする商業出版界は、いわゆる電子書籍・デジタルブックでも出版することが多くなってきた[1]

学校創立記念誌の歴史[編集]

日本に近代的な学校ができたのは、一般的には明治時代以降である。具体的には、明治5年(1872年)当時の文部省が正式に学制を頒布して以降である。しかし、古代・中世・江戸時代においても、もちろん教育機関は存在してきた。古くは、701年(大宝1年)に制定された大宝律令(学令)による大学寮がある。828年(天長5年)弘法大師空海が、日本最初の私立学校・私立大学と言われる綜芸種智院 (しゅげいしゅちいん)を設立した[2]。これはいったん廃校となったが、戦後、学校法人綜藝種智院が種智院大学を設立し、現代大学となった。校名は弘法大師空海の綜芸種智院からとられた。[3]。江戸時代になると、教育機関として寺子屋や藩校などが盛んであった。明治時代以降は、東京帝国大学、京都帝国大学など国立の帝国大学が官学として隆盛を極める一方、私立大学も次々と勃興した。第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)、新憲法が発布された年に、当時の文部省が「新学習指導要領」を発表、いわゆる「六・三制」を制定した。それ以降、小学校・中学校だけではなく大学も新設あるいは旧帝国大学等から名称変更して、再出発することになった。しかし、創立記念誌の「創立」は戦前にまで遡ることが多い。確かに、1946年(昭和21年)に学制が戦前とはまったく変わったが、多くの学校は創立の時点を戦前旧学制時代、あるいは幕末明治初頭にまで遡って、創立以来何年と計算している場合が多い。[4]

私学の雄、慶應義塾と早稲田の学校創立記念誌[編集]

慶應義塾は江戸の慶應年間に創立されたことから塾名が名づけられ、実学の慶應義塾として、明治時代以降は商学・経済学を中心に発展した。しかし、1918年(大正7)12月に公布され、翌1919年4月より施行された大学令の直前、1917年 (大正6)、世界的な細菌学者である北里柴三郎を学部長に迎え、慶應義塾大学部医学科を発足させた。北里は当時の医学界が陥っていた各科分立による弊害を排するために大教室制ともいえる組織を導入。さらに基礎医学と臨床医学の連携を重視した[5]。これが慶應義塾大学部医学部の始まりであり、商学部だけの実学至上主義から、文学部・法学部・医学部・理工学部・総合政策学部・環境情報学部・看護医療学部・薬学部といった狭義の実学以外も含む総合大学へと発展していった。 一方、慶應義塾大学に勝るとも劣らない私学の雄、早稲田大学は1882年(明治15)大隈重信(おおくましげのぶ)により東京府南豊島(みなみとしま)郡戸塚村に東京専門学校として開校[6]。1881年(明治14)挂冠(けいかん)した大隈は、翌1882年10月21日、東京専門学校を開校した。開校時、政治経済学科、法律学科、理学科(1883年廃止)の3科と英語学科を置き、3科はもっぱら邦語をもって講義する。入学金1円、授業料月1円、修業期限3年。1886年小野が没し、高田の発案により大隈家から経済的に独立し、別に政治、法律2科の講義録による通信教育を始めた(校外生)。1890年坪内雄蔵(逍遙(しょうよう))の提議により文学科を創設、翌1891年『早稲田文学』創刊。1902年(明治35)9月、早稲田大学と改称。1907年、創立25周年に校歌(『都の西北』相馬御風(ぎょふう)詞、東儀鉄笛(とうぎてってき)曲)制定。1909年理工科開設。翌1910年野球部など7部を統轄して体育部発足。創立30周年は諒闇(りょうあん)により1年延期し、1913年(大正2)大学としての「教旨(きょうし)」が出された。その意は学問の独立、学問の活用、模範国民の造就で、大学の校是を示すものであった。1917年、学長問題で世にいう「早稲田騒動」が起こったが、平沼淑郎(よしお)(1864―1938)が代表者として事を収めた。その年、新大学令公布、大学はただちに準備を進め、申請、1920年2月認可された。1922年1月大隈没、国民葬[7]

参考文献[編集]

  • 『日本書籍出版協会 50年史』日本書籍出版協会, ed. (2007), 日本雑誌協会 日本書籍出版協会 50年史, 日本書籍出版協会 (2007-11-21発行), ISBN 978-4-89003-120-7

出典[編集]

  1. (平成経済)第2部・昭和モデルの崩壊:6 日本アニメ、配信が鍵 ネット時代、米中が覇権(2018年03月04日「朝日新聞」)
  2. 日本国語大辞典(小学館)
  3. 日本大百科全書(小学館)
  4. 『東京大学百年史』(1987年、東京大學編)、『慶應義塾史辞典』(2008年、慶應義塾)等参照
  5. 医学の進歩と共にある、創立100年の歴史http://www.med.keio.ac.jp/about/history/
  6. 『日本大百科全書』小学館。/
  7. 『日本大百科全書』小学館。/

関連項目[編集]

造本

出版

外部リンク[編集]