天田郡和久郷の決戦

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天田郡和久郷の決戦(あまたぐんわくごうのけっせん)とは、
永禄八年(1565年)八月二日に、丹波國天田郡和久郷(京都府福知山市)で、
松永甚介長頼が、赤井悪右衛門直正に敗北して討死した合戦。

合戦経過[編集]

丹波國の支配権の争いに由り、丹波國天田郡和久郷(京都府福知山市)で、
丹波國氷上郡黒井城城主・赤井悪右衛門直正と戦ったが敗北して討死した。
  • 松永甚介長頼が、丹波國天田郡和久郷(京都府福知山市)で、討死した後に、
松永甚介長頼の長男貞勝は、丹波國天田郡鬼ケ城で籠城したが、
赤井悪右衛門直正の側に、丹波國天田郡馬廻衆が付いた事に由り、
丹波國天田郡鬼ケ城が落城して、松永甚介長頼の長男貞勝は、討死した。

参考文献[編集]

京都府福知山市史・第二巻(1982年3月)

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関係事項[編集]