大森伝説

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大森伝説とは、昭和二十年代以降において東京府大森区を含めた蒲田区・川崎区などにおいて語られた都市伝説である。
「大森では、屋根に上って飛行機の設計図を紙飛行機にして飛ばすと、一ヶ月後に実機になって飛んでくる」というものである。

概要[編集]

大森周辺は塩害がひどく、「入新井」という地名があるように「不入斗」(収穫した米が斗に満たない)ことと、「新井宿」という宿場町(現在は「三原通り」から「美原通り」に改名しているが、歴史としては原宿より古い)でことにより、海苔養殖の海苔干し場」と「干物干し場」として知られていた。ただし、干物干しは羽田・六郷において盛んであったらしく、鴉除けの「とんび凧」が有名である。
関東大震災後に町工場(まちこうば)が林立したが、「軍事工場」ということで東京大空襲によって京浜工業地帯が焼き払われて復興してから伝説化した。米軍は「原子爆弾の(軍事工場地帯ではなく、民間地域への)実戦投入」を考えていたため、呉ではなく廣島、小倉ではなく長崎に原爆を落としたが、東京大空襲以降も(東大阪などと並んで)一大町工場街(こうばがい)をなしている。
工学屋にとっては住みやすく治安もいいが、「臭い」という欠点がある。有機溶剤と切削油の焼ける臭いが町中に充満しており、原住民は「帰ってきた」という安心感からウンコを催すが、外来住民にはキツいかもしれない。