大庭みな子

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大庭みな子(おおば みなこ、1930年11月11日-2007年5月24日)は、作家。

人物[編集]

本名・大庭美奈子、旧姓・椎名。東京・渋谷生まれ。津田塾大学学芸学部英文学科卒。夫のアラスカ赴任に伴い1959年よりアメリカに住み、1968年「三匹の蟹」で群像新人文学賞を受賞し、同作で芥川賞を受賞。同作は江藤淳らに絶賛された。日本人の人妻がアメリカ人と姦通する話で、江藤は反米なのでこういうアメリカ人への憎しみをかきたてる話が大好きなのである。75年『がらくた博物館』で女流文学賞受賞、『ふなくい虫』『浦島草』などを書き、82年「純文学ポルノ」と宣伝された『寂兮寥兮(かたちもなく)』で谷崎潤一郎賞受賞。83年、津田塾大学出身の女性(朝倉和泉)の息子が祖母を殺して自殺した事件をもとに『夢野』を東京新聞に連載。86年『啼く鳥の』で野間文芸賞を受賞。

1987年、河野多恵子とともに女性で初めての芥川賞選考委員に就任。97年まで務めた。89年「海にゆらぐ糸」で川端康成文学賞受賞、90年、伝記『津田梅子』で読売文学賞を受賞。96年「赤い満月」で二度目の川端康成文学賞を受賞、2003年『浦安うた日記』で紫式部文学賞を受賞。1991年、日本藝術院会員。全集も刊行された。脳出血で倒れた時、「河野多恵子は悪人ですよ、お気を付けあそばせ」と言ったという。