堀辰雄
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堀辰雄(ほり たつお、1904年12月28日-1953年5月28日)は、作家。
人物[編集]
東京市麹町区生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒。在学中から芥川龍之介に親炙し、卒論も芥川だったが、1927年の芥川の自殺に衝撃を受ける。作品「聖家族」は、芥川を父、その愛人ともされる片山広子を母とし、広子の娘聡子に恋する自分を子と見なしたものである。軽井沢の山荘に滞在することが多く、川端康成とも交友があった。軽井沢で知った矢野綾子と婚約するが、二人ともに肺結核を病んで長野県の富士見療養所へ入るが1935年綾子は死去する。
ついで加藤多恵子と婚約し、のち結婚する。リルケ、ヴァレリーなどの西洋文学に親しみ、日本文学の私小説を中心とする構造に異を唱えたとされ、のち中村真一郎らの西洋派・非私小説派の戦後派作家の指標ともなった。「菜穂子」「風立ちぬ」などがあり、「風立ちぬ」はヴァレリーの詩からとっているが、ヴァレリーは「風が立った、さあ生きよう」と書いたのを、堀は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳した。だが「生きめやも」では「生きるのだろうか」になってしまい、誤訳とされている。
その後は日本古典に傾斜し、中村真一郎もこの路線を引き継いだ。戦後8年して、肺結核の悪化により48歳で死去した。