国鉄115系電車 (長野)
本項では、かつてJR東日本長野支社で活躍していた国鉄115系電車について取り上げる。なお、松本運転所の115系も取り扱う。
概要[編集]
長野地区の115系はお隣の新潟地区のように1600番台や箱型ベンチレーター残存、最強オンボロ編成といったゲテモノ車の0番台や1000番台は少なく、1500番台かリニューアル車かという程度の違いしかない。
ただ、これは3連のN編成の話であり6連のC編成は少し複雑な経緯を辿っている編成が多い。
6連は松本区で老朽化が進んだ800番台、状態が悪かった300番台を置き換えるために小山区のE231系投入で余剰となった1000番台や300番台が転属。
彼らの生い立ちは岡山、新前橋、小山と多岐にわたる。
形式的に目立ったものは無かったが、松本運転所と長野運転所で複雑怪奇な動きが多かった。
長野地区の115系は高崎や新潟と違い、全ての車両がシングルアーム型パンタグラフに交換済み。半数の編成に全車リニューアル工事を実施まで行った。
…だが東日本管内では最も早く、2015年に定期運用が無くなり(JRの所属車は)引退してしまった。
ただ、長野は雪が多いとはいえ新潟よりは少なめだったこともあり車両の状態が良い編成が多く、半数くらいのN編成は何かしら転用されてる。
編成[編集]
他区と比べて変な車両や特徴は少なかった。
N編成[編集]
3両編成のグループ。一部は1500番台も所属。 4つの違いがあるのみ。
緑札[編集]
その名の通り、編成札が「緑」の編成である。この編成は速度照査付きのATS-SN'が設置されておりJR東海の路線にも入線可能。
赤札[編集]
その名の通り、編成札が「赤」の編成である。この編成は前述したATSが設置されていないためJR東海区間は乗り入れ不可。
緑札・リニューアル車[編集]
編成札が「緑」かつ全車リニューアルを受けている編成。長野地区の風切り板は花の絵が描かれているのが特徴だった。
赤札・リニューアル車[編集]
編成札が「赤」かつ全車リニューアルを受けている編成。
C編成[編集]
全て小山区からの転属であり、1000番台が殆どだったが、300番台も転用された。
N編成(50番台)[編集]
新潟だとS編成に当たる編成。2両編成で、全ての車両がトイレ設置済み。
ただし、N55編成は余剰となり、設置されないまま廃車となった。
廃車とならなかった編成は一部の編成がリニューアル工事を受け、2013年にワンマン改造の上で全てしなの鉄道へ譲渡された。
各編成のその後[編集]
記述が無い編成は全て廃車解体となった。一部部品はしなの鉄道の115系の保守部品として使われてる編成もある。
- N1…しなの鉄道へ譲渡(S16)
- N3…新潟に転属(N34)
- N6…新潟に転属(N35)
- N7…しなの鉄道へ譲渡(S13)
- N9…新潟に転属(N40)。客扱い出来る車両で最後まで長野に残った湘南色の編成。
- N11…新潟に転属(N36)
- N12…しなの鉄道へ譲渡(S12)
- N13…しなの鉄道へ譲渡(S15)。最後まで残ったJR東日本全車リニューアル車。
- N14…新潟に転属(N37)
- N15…訓練車に転用。2019年廃車。最後まで残った長野所属の編成。
- N21…しなの鉄道へ譲渡(S14)
- N25…新潟に転属(N38)。1000番台のトップナンバー。
- N27…新潟に転属(N33)。本来は余剰となって2014年に廃車予定だったがE127系の補填のため新潟へ転属。
- N51…しなの鉄道へ譲渡(S22)
- N52…しなの鉄道へ譲渡(S23)
- N53…しなの鉄道へ譲渡(S26)
- N54…しなの鉄道へ譲渡(S27)
- N56…しなの鉄道へ譲渡(S21)
- N57…しなの鉄道へ譲渡(S24)
- N58…しなの鉄道へ譲渡(S25)
- C3…新潟に転属(L99)
C3編成以外のC編成はクハ115-1106を除き全て廃車解体された。なお、N16~20は欠番。
残念ながら、2024年のしなの鉄道S15編成廃車により、転用や転属した編成は全て現存しない。
歴史[編集]
長野地区の115系の歴史は非常に深く、1960年後半から豊田電車区からの800番台が松本や長野へ乗り入れていた。
ただ、現在の松本車両センターに当たる松本運転所には旧型国電が大量に在籍しており、他区の115系が乗り入れていたとはいえ特に大糸線などは80系などの天国であった。
1977年から松本運転所に115系が配置されるようになった。ここで配置された115系は1000番台。115系1000番台誕生の地でもある。
1978年に破竹の勢いで増えた115系は旧型国電を一掃。あっという間に長野の顔となる。
1983年には列車増発のため、モハ115をクモハに改造して3連を大量に増やした。なおこれによって不足となったクハはサハ115改造の600番台で組成。
1986年には松本地区と長野地区の運用を分離するため、松本地区の3両編成を長野運転所に配置。それと同時に600番台を含めた編成は神領へ転出。
民営化直後の1988年には大糸線輸送力適正化のためM'Mユニットを先頭車改造を行い2連が登場。以降、旧信州色、新長野色と塗り替えがされること以外は大きな動きがなかった。
1997年、長野新幹線開業、旧信越本線を引き継いだしなの鉄道が開業。115系を譲渡することになった。当時、旧信越本線区間で運用した115系は高崎駅に入線するためにATS-Pを搭載していた。だが、しなの鉄道では不要な設備だったため、松本運転所よりATS-P未搭載編成を譲渡し、元々運用されていた編成は松本運転所に転属。
これでも松本側の編成が余ったため、1本を新前橋に転出させている。(この編成はT1030編成となった)
これにより、車籍上は115系が11本消えたことになった。このしなの鉄道へ譲渡された115系が2024年現在も生き残っている。
その後、E127系投入により松本区169系撤退、115系の一部も置き換えとなり、余剰となった115系が長野運転所へ転属。長野運転所所属の169系も置き換え、この頃からJR東海にも顔を出すようになった。
この頃から全車リニューアル工事が始まり、半数の編成に施行。
さらに中央東線で甲府以東の運用で半数以上松本区の車両の運用となった。これと同時に豊田地区の115系の一部も松本へ転属。
この時点で松本運転所の115系はR編成(3連)×15、O編成(2連)×8、B編成(6連)×8、B編成(3連×12)となっていた。
2000年にはO編成とR編成が全て長野運転所に転属。程なくして松本運転所のB編成が小山から転出してきたC編成で置き換えられた。皮肉にも、115系を115系で置き換える事態となっていたが、10年の差があった。
B5編成は豊田に戻り波動用M40となり、3連は伊豆急行へ譲渡された。
2007年に集約化のためC編成が長野へ転属し、現在の形が出来た。この時、N55編成が廃車となりN15編成が訓練車となった。
その後は特に何もなく、2013年に変化が起きた。
運用変更や211系投入により2連の115系がワンマン改造の上でしなの鉄道へ譲渡。
2014年には1000番台に廃車も出始め、しなの鉄道へ左遷される編成や新潟に逃亡する編成も出てきた。
そして2015年3月、北陸新幹線金沢開業と同時に長野地区の115系は定期運用を終了。
2015年10月、N9編成による臨時列車を最後に旅客営業も終了。
その後は細々と訓練車N15編成が残っていたが、209系の改造車に置き換えられ、2019年10月に廃車。松本運転所の時代を含め、42年の歴史に幕を下ろした。