嘘つきのパラドックス
パラドックスは、「クレタ人のパラドックス」「自己言及のパラドックス」ともいう。
紀元前600年ごろの哲学者エピメニデスが「クレタ人は常に嘘しか言わない」と述べたという伝説から生まれた。エピメニデスはクレタ島出身者(クレタ人)なので、論理学における、いわゆる古典論理においては悩ましいことになる。
動的論理においてはフリップフロップといい発信回路に用いられるなど有用ではあるが、このあたりを理解していない全体性に欠けた為政者やプログラマがいたりするため、HAL9000が暴走したりする。映画『二〇一〇』ではこの事情についての言及があり、ダグラス・ホフシュタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』にちなんで「ダグラス・ホフシュタッター・ループ」と呼ばれている。
この節に書かれていることは嘘です。[編集]
仮に、この節のタイトルが「偽」、すなわち嘘であると仮定しよう。
すると、「嘘である、ということが嘘である」、つまりこのページの記述は事実であるという結論が導かれる。
しかしながら、ここでは命題が嘘であると仮定しているのだから、この結論は成立しない。
逆に、この命題が事実であると仮定しよう。
そうなれば、「嘘である」ということが事実なのだから、このページの記述は嘘であると結論付けられる。
だが、命題を事実と仮定しているためにダグラス・ホフシュタッター・ループに陥る。そのため「分かりません」というのが正解のように思えそうだが、「分かりません」も嘘だということになるため「本当は分かっている」という言明になってしまう。が、この節のタイトルが正しければこれも嘘になってしまうので ……
多値論理・ファジィ論理[編集]
「どうも『真』か『偽』かという古典論理だけでは世の中はうまく回らないようだ」というので多値論理が生まれたが、それでも議会制民主主義というものがあるので、「これでもうまくいかなそうに思う」ということでファジィ論理が生まれた。もともとは水平なレールの上に台車を載せ、その上に棒を立てて直立させるシステムを構築させるにあたって、それぞれ別の制禦方法を使ったボードを複数立てて制禦したらけっこう安定するというネタであった。学会で「棒の上に台をつけてワイングラスを載せる」というパフォーマンスを披露したところ制禦工学の研究者が喰いついてきて、「じゃあ、ワイングラス以外に生きたネズミとか載せたらどうなる?」「ボードが複数あるんなら、一二枚引っこ抜いてみたらどうなる?」とかいった悪ノリの結果としてブームになった。「ファジィ」には「ピンボケな」という意味があるので「ファジィ写真機」という話があったときは「それってどうなの?」と思ったそうだが、ファジィには「毛が(フサフサと)生えた」という意味があるので「ファジィ炊飯器」の話が来たときには「毛でも植えたら?」と思ったそうである。結果的には各メーカーが制禦に目を向けてくれるようになったので、カメラにしろ炊飯器にしろ実用的な技術の向上があったというから喜ばしいことである。