善意にとる
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善意にとる(ぜんいにとる、英:Assume good faith)とは、ウィキペディアのガイドラインである[1]。
概要[編集]
ウィキペディアであっても案外難しい事なのでガイドラインとして定められるまでになったのかと思われる[2]。
『「善意にとれ!」と怒る前に善意にとりましょう。』と言われましても、何をされても「善意にとる」なんて事ができれば怒る事は無いんだけど。
対義語は「悪意にとる」という事のようだが、悪意は無いけど悪意にとれる行動をしているのかもしれない場合は、それは「悪意」ではなく「無知」ととるのが最善らしい。
「善意」ではないが「無知」という事なら教えれば済む訳で。
逆にも言うと、「悪意」と取って怒るのはエネルギーを無駄に使うのでエコじゃないので、地球のためにもまだ「無知にとる」くらいは容易いでしょう。
でもやっぱり「無知にとる」よりは「善意にとる」方が感謝のリンクをクリックする動機づけになるという意味では優れていると言えるかもしれない。
似たような例[編集]
ステパノ(jawp:ステファノ)というキリスト教徒は、石を投げつけられて息を引き取る間際でさえ、
「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」 — ステパノ、使徒行伝(口語訳)7章60節
と言った模様。キリスト教は復活の希望があるから、殺意すら善意にとれるって事なのかな…?