和田豊太(わだほうた、明治28年11月15日没)は、岡山県の実業家、政治家。号は子厚。
江戸時代末期に現在の岡山市南区妹尾で生まれた。大阪に出て学問を修め帰郷すると、い製造業の振興に尽力した。岡山県畳表同業組合を設立して初代組合長に就任したのち、明治21年1月から岡山県会議員も務め、胃癌のため死去した。墓所は岡山市の観行院。享年36歳。