和凧
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和凧とは、一種のグライダーである。本来は軍用として開発された。西洋凧の対義語である。本来は「はた」「いかのぼり」「いか」であったが、江戸でも流行して「たこ」と呼ばれた。すなわち「たこ」は江戸方言である。
概要[編集]
「高く上がる」ために出世祈願の縁起物とされ、「龍」(「竜」の俗字)と書かれた凧などが多かった[1]。武家社会である江戸では「白旗を上げる」のは縁起が悪かったからだという。「旗本」は「御目見以下」がいたので、「はた」「いか」と呼ばれ高上りすると「たこ」と呼ばれた。したがって「いか」「たこ」は一種の差別語である。旗本には旗本奴がつきものなので、「やっこ凧」も生まれた。
地方にはそれぞれ独自の凧文化があり、矢口では干物をカラスに狙われないように「とんび凧」が利用されていた。
鈴木春信が錦絵を発表してから、「武者絵」をそのまま貼った和凧は正月の贈答品として用いられ、おもに遊戯用ではなく縁起物とされた。尻尾をつけず、天空上にぴたりと静止するのが美とされ粋とされた。
脚注[編集]
- ↑ 橋本龍太郎のあだ名は「タコ」だった。
関連作品[編集]
- 『凧になったお母さん』(童話)野坂昭如