前橋スナック銃乱射事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

前橋スナック銃乱射事件(まえばしすなっくじゅうらんしゃじけん)は、2003年1月25日に起きた暴力団抗争事件。

概要[編集]

2003年1月25日、群馬県前橋市三俣町の住宅街にあるスナック「加津」のカウンターに指定暴力団系矢野睦会の矢野治会長の指示を受けた暴力団幹部のYとKがヘルメットをかぶって侵入。午後11時25分頃にスナック前にいた後藤元組長の警護役を射殺。店内で銃を乱射して客としてきていた一般人3人を射殺。元組長と客の2人が重傷を負った。

本事件のきっかけとなったのは、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件とされている。その後、両組織は和解しているものの、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこの和解を拒否。その後も、大前田一家の幹部と敵対。2002年2月21日に前橋市の大前田一家元総長宅を発砲、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶を投げ込む。2002年10月14日に白沢村で銃撃事件が発生するなどした。また、2月11日の発砲事件に関わった矢野睦会幹部が、2月15日に東京都文京区の日医大病院に入院していたところを射殺されている。これは、元総長宅襲撃失敗の口封じが目的とみられており、この事件では2003年9月に矢野ら3人が逮捕されている。

Kは事件後にフィリピンなどに逃亡していたが、2002年10月に不法滞在で強制送還。Kは2004年2月に矢野の指示でやったと容疑を認め、2004年2月17日に逮捕された。同日、放火容疑で逮捕されていた矢野も、首謀者として逮捕された。2004年5月7日に、もう一人の実行犯役としてYが逮捕された。

裁判経過[編集]

刑事裁判[編集]

Y[編集]

2008年1月21日 前橋地裁(久我泰博裁判長)は、死刑判決を言い渡した。弁護側は、一般人とみられる女性への発砲はKの暴走で、Yは男性1人の殺害と男性1人の傷害にしか関わっていないと主張。犯行への関与も低かったと主張していた。判決では、YがKと比べると犯行への関与が低かったことは認めたが、共同正犯としての責任があったとした。

2009年9月10日 東京高裁(長岡哲次裁判長)は、弁護側の控訴を棄却。

2013年6月27日、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は、弁護側の上告を棄却。弁護側は役割が従属的で反省もしているとして死刑を回避するように求めていた。判決では対立暴力団への報復という動機に酌量の余地はない。また、真摯な反省があるとも言い難く、重大な結果につながった事件で果たした役割が大きいとした。Yの死刑が確定した。

K[編集]

2005年3月28日、前橋地裁(久我泰博裁判長)は、死刑判決を言い渡した。弁護側は、Kの自供によって事件が解明できたという点や真摯な反省から減刑を求めていた。判決では、Kの自供で捜査が進展したとしながらも自首は認めず、死刑はやむを得ないとした。

2006年3月16日、東京高裁(仙波厚裁判長)は、控訴棄却。弁護側の主張した自首は認めなかった。

2009年7月10日、最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)は、上告棄却。自首は認めず、2人を射殺するなど犯行で果たした役割は大きいとした。この判決で、Kの死刑判決が確定した。

矢野治[編集]

指定暴力団住吉会系組会長矢野は、本事件に加えて2002年2月の日本医科大付属病院で入院中だった配下の組長射殺事件(実行犯役は無期懲役が確定)も指示したとして殺人や銃刀法違反などの罪で起訴。

2008年1月10日、東京地裁(朝山芳史裁判長)は、Yが一連の事件の首謀者だったことを認めた上で「責任は実行犯を上回る」として、求刑通り死刑判決を言い渡した。矢野被告は無罪を主張していた。判決では、銃乱射事件では「一般人3人が巻き添えを食った」、日医大の事件でも「口封じ目的で酌量の余地はない」とした。

2009年11月10日、東京高裁も死刑判決を支持して控訴を棄却。

2014年3月14日、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は、弁護側の上告を棄却[1]。Yの死刑判決が確定した。判決では、計画的犯行の首謀者で、実行犯と同等以上の責任がある」とした。これにより、矢野の死刑判決が確定した。

2020年1月26日、東京拘置所内で死亡。自殺とみられる。

民事裁判[編集]

2006年に被害者遺族らが住吉会最高幹部らに損害賠償請求。2008年に住吉会総裁・会長が実行役の組員に対する使用者責任を認めた。結果、遺族に9750万円を支払うことで和解している。

関連項目[編集]

脚注[編集]