二葉亭四迷

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二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、文久4年(1864年)旧暦2月28日-1909年5月10日)は、日本の作家・翻訳家。

人物[編集]

尾張藩士の長男として江戸に生まれ、名古屋で育つ。本名・長谷川辰之助。長谷川二葉亭などと呼ばれる。東京外国語学校でロシア語を学び、ロシヤ文学を読んで、坪内逍遙の『小説神髄』に刺激を受け、日本の近代小説のはじめとされる『浮雲』を書いた。戯作者風の筆名・二葉亭四迷は「くたばってしまえ」から来ていると言われる。逍遙に面会し、『小説神髄』を批評した『小説総論』を見せたというが、今はその序言しか残されていない。

その後、ツルゲーネフの作品から「あひびき」「めぐりあひ」などを訳出するが、「文学は男子一生の大業にあらず」という念にとりつかれ、国士として働こうと、大陸へ渡り、ハルピンから北京へ回って川島浪速のもとで働くが、帰国ののち、高野りうと結婚、明治39年と40年、東京朝日新聞で小説『其面影』『平凡』を連載した。その後ロシヤへ渡るが病を得て船で帰国途中、ベンガル湾で客死した。

中村光夫は先駆者としての二葉亭を高く評価したが、私小説批判派の中村は、『平凡』のような私小説を私小説ではないと強弁した。

伝記[編集]

  • 中村光夫『二葉亭四迷伝』講談社文芸文庫