久遠寺相輪塔
ナビゲーションに移動
検索に移動
久遠寺相輪塔(くおんじそうりんとう)は、山梨県南巨摩郡身延町身延上の山の仏塔である。近世に形成された身延山の霊域上の山地域内にある久遠寺の支院大光坊の境内地に所在する。山梨県指定文化財。上の山地域は明治8年(1875年)の久遠寺の堂宇の大半を焼失した大火を免れた建造物が多く残ることで知られる。
この相輪塔は、四本の支柱で支えられ、木製の芯材に青銅製の金属板を張り付けたもので、一辺5.1メートル、高さ1.14メートルの石積み基壇の上に花崗岩製の礎石を据えて造られ、礎石上面から塔頂部までの高さは7.45メートルとなっている。塔身の銘文から祖師堂の御宝前において法華経3万部読誦成就を供養するために、天明元年(1781年)に造立したとされる。大光坊は当初は大光庵と称し、寛文5年(1665年)に甲府宰相徳川綱重が子孫繁栄の祈願所として寄進した三光堂の別当所で、身延山山頂にある奥之院思親閣への表参道の中間にあり、参詣客の休息所としての役割も担っている。相輪塔は幾度かの場所の変遷を経て、昭和11年(1936年)に現在地へ移された。近代以降に作られたものを含めて相輪塔は日本全国に17基存在するが、それらの多くは九輪の相輪で飾られているのに対して、この相輪塔は、笠塔婆に五輪塔を乗せた他に類例の少ない特徴的なもので、建造物として希少価値の高いものである。また、塔身に10箇所ある銘文には造立の経緯やこれまでの寺歴では認められていなかった事跡などが記され、歴史的学術的にも貴重な資料である。