中外新聞

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中外新聞(ちゅうがいしんぶん)は日本人による最初の本格的新聞である。

沿革[編集]

1868年(慶応4年)2月24日、幕臣の柳河春三が江戸で創刊した。半紙二つ折り五、六枚を綴じた小冊子形式である。定価は1匁であった。4日から5日毎に発行された。当時の新聞のなかでは売れ行きがよく、毎号1500部が売れたという。印刷には木製活字を用いている。

記事[編集]

主に横浜で発行されていた英字新聞の記事を翻訳し、あわせて重要と考えた国内のニュースを付け加えている。明治元年には月に10回発行した。明治政府が1868年6月8日に新聞私印行条例を公布し、無許可の新聞発行を禁止した。1870年3月21日(明治3年2月20日)に柳川が急逝しため、中外新聞は廃刊となった。

初の号外[編集]

1868年(慶応4年)5月に上野彰義隊の戦いを報じた別段中外新聞は、号外の元祖と言われている。

その他[編集]

日本経済新聞の前身の一つの『中外商業新報』(1876年12月創刊)は当新聞とは無関係である。