ヴァーシャ・プルシーホダ

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  • ヴァーシャ・プシホダ
  • ヴァーシャ・プシーホダ
  • ヴァッサ・プシホダ
  • ヴァーサ・プリホダ
  • ヴァーシャ・プルジーホダ

ヴァーシャ・プルシーホダ[1][2](Váša Příhoda, 1900年[3][4]8月24日 - 1960年[5]7月27日)は、ボヘミア地方出身のヴァイオリン奏者。[6]本名は、ヴァーツラフ・フランティシェク・プルシーホダ(Václav František Příhoda)。[7]

オーストリア=ハンガリー帝国領南ボヘミア地方のヴォドニャニ出身。幼時にプラハに移住。3歳よりヴァイオリン教師の父アロイスの手解きでヴァイオリンを始め、10歳の頃まで父の指導を受けた。1911年からプラハ音楽院に進学してヤン・マルジャークの薫陶を受けて1912年から演奏活動を行い、1915年以降、度々チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートに独奏者として招かれるようになった。1919年にヨーロッパへの演奏旅行を企画してスイス経由でイタリアに向かったものの、興行的に失敗し、糊口を凌ぐためにミラノのグラン・カフェ・イタリアでヴァイオリン演奏のアルバイトをすることとなった。そのカフェのクリスマスのチャリティー・コンサートに出演したところ、その聴衆の中にいたアルトゥーロ・トスカニーニに「パガニーニですらこの青年のようには弾けなかっただろう。」と絶賛された。トスカニーニの推薦を得たことで、ニコロ・パガニーニの所持していたグァルネリ・デル・ジェスの愛器「カノン砲」の使用を許されたり、欧米各地からコンサート出演の依頼が殺到したりして、世界的名声を得るようになった。1927年のヨーロッパでの演奏旅行中に同業者のアルマ・ロゼーと知り合い、1930年に結婚したが、1935年に離婚[8]。翌年にはインドルジシュカ・クロイツォヴァーと再婚したが、1943年に離婚[9]し、ヘレナ・ブルバーと再婚した[10]。第二次世界大戦終結後は、しばらくイタリアのラパッロに住み、1946年からヨーロッパでの演奏旅行を行ったが、プラハではナチスの協力者として嫌疑をかけられて演奏を拒否され、故郷であるヴォドニャニへの移住も拒絶されている。また、同様の理由から、チェコスロバキア当局から戦時中の行動に関する罰金を宣告されたり、パスポートの更新を渋られたりしており、1949年には演奏旅行先のトルコでトルコ国籍を取得することとなった。1950年からウィーン音楽院のヴァイオリン教師の職を得てザンクトギルゲンに移住。1954年に右腕を骨折して療養を余儀なくされるも、翌年には演奏活動に復帰。1956年にプラハの春音楽祭に招待される[11]形でチェコに戻って演奏会を開いて喝采を浴びたが、永住は拒否された。

かねてより心臓疾患を患っていたが、入院先のウィーンの病院で心臓発作を起こして亡くなった。

脚注[編集]

  1. カンポセリーチェ | 保有楽器 | 保有楽器 | 日本音楽財団”. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日確認。
  2. 姓の本来の綴りである"Příhoda"の発音区別符号を取り除いた綴り"Prihoda"に従って「プリホダ」と表記することもある([SACD Hybrid] 渡辺玲子 & 江口 玲/AIR & DANCE on Violin | フォンテック fontec web shop”. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日確認。)
  3. アーカイブ 2020年8月9日 - ウェイバックマシン
  4. アーカイブ 2021年5月16日 - ウェイバックマシン
  5. アーカイブ 2021年5月16日 - ウェイバックマシン
  6. アーカイブ 2021年5月16日 - ウェイバックマシン
  7. アーカイブ 2021年5月16日 - ウェイバックマシン
  8. アルマは1944年にフランスでナチス・ドイツ軍に捕縛され、アウシュビッツ強制収容所にて没したが、プルシーホダは、その事実を第二次世界大戦後に知ったという。しかし、世間ではアルマとの離婚についてナチス政権に追従して行ったものと勘繰り、プルシーホダを中傷する話題にしたという。(Wendel, Wolfgang (2006年8月3日). “Váša Příhoda: Opomíjený houslista století”. Harmonie. オリジナル2021年5月16日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/PzCF3 2020年9月3日閲覧。 )
  9. アーカイブ 2020年8月9日 - ウェイバックマシン
  10. “Eccezionale violinista ceco di fama mondiale da Milano”. Consolato Generale della Repubblica Ceca a Milano. (2019年12月17日). オリジナル2021年5月16日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/CvM42 2021年5月16日閲覧。 
  11. アーカイブ 2020年10月21日 - ウェイバックマシン