マルドゥク
マルドゥク(Marduk)とは、メソポタミア神話の神。エアとダムキナの息子で、バビロンの守護神。
名前[編集]
日本語の文献では一般的に英語名のMardukに由来する「マルドゥク」と書かれることが多い。シュメール語では「ウルトゥの子牛」を意味する𒀭𒀫𒌓(ラテン文字転写:dAMAR.UTU)と書かれる。『旧約聖書』中の金の子牛の逸話などから、子牛は元々セム系の神話で主神であった可能性がある。
概要[編集]
水、農業、審判、及び魔術を司る神[1]。牝牛と鍬が象徴とされ、農業に必要な水をもたらす嵐と雷を武器としていたことから、本来は農耕神と豊穣神を兼ねる存在だったと言われている。 元々はバビロニアで崇拝されていた神で、バビロニア帝国がメソポタミアを支配すると、メソポタミア中にその信仰が広まっていった。またこの時シュメール人の主神であったエンリル神と同一視され、エンリル神の尊称に影響を受けたと思われる「ベル・マルドゥク」(主マルドゥク)の名で呼ばれた。このようにメソポタミアに従来存在した神々の属性を吸収していった事から、他の神々に対し圧倒的優位性を示すようになり、「国々の王」[2]とまで尊称され、一神教的な性質を帯びるようになっていった[3]。 バビロニア帝国を征服したアッシリア人達もマルドゥク神を熱心に崇拝し続けたが、アッシリア帝国が弱体化していくと信仰も弱まり、エッラなど他の神々に取って代わられ、紀元前1世紀を境に信仰は完全に途絶える事になる。
後世への影響[編集]
『旧約聖書』に記述のあるバベルの塔は、バビロンに存在したマルドゥク神を祀るジッグラトであったと言われる。 前述の通り一神教的な要素があったため、彼に対する信仰は大変強く、バビロニア帝国の王は彼の像を掴む事で即位し、この儀式はアッシリア人にも受け継がれていった。 アッシリア暦では8番目の月を象徴すると信じられていた。