ヒッタイト

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ヒッタイト(英:Hittites)とは、紀元前16世紀から11世紀にかけてオリエントを支配した民族、及び彼らが建てた王国である。

概要[編集]

ヒッタイトの興りは定かでないが、インド=ヨーロッパ語族で鉄製器具を使用していたことから、前19世紀ごろに東方から小アジアへ移住した北方系民族とみられている。

前1680年ごろ、ハットゥシャ(現ボアズキョイ周辺)を中心にヒッタイト古王国が建国され、前1595年にバビロン第1王朝を滅ぼした。しかしメソポタミアを支配することはできず、カッシートミタンニがその旧領に勃興した。やがて古王国はミタンニに圧倒され一時的に弱体化する。

70年ほどの混乱期(中央国時代)を経て前1430年ごろにヒッタイト新王国が成立すると、その勢力を盛り返し、ミタンニを攻撃、服従させた。一方で、同じくメソポタミア方面への進出を狙うエジプトとの対決が激化し、前1286年、両軍はシリアのカデシュ近郊で激突した(カデシュの戦い)。戦闘は痛み分けに終わったものの、前1269年の講和条約にてアラムなどの領土はヒッタイト側が保持することが定められた。

しかし、前13世紀末頃から新興のアッシリアが台頭すると、ユーフラテス川流域から駆逐され、次第に衰えていった。その後、ヒッタイトは都ハットゥシャ周辺のわずかな領土を支配する弱小国家に転落し、前1190年頃滅亡した。その興りと同様、ヒッタイト滅亡のはっきりとした理由は判明していないが、「海の民」の侵入・飢饉・疫病・内紛など複合的な要因で滅んだというのが現在の通説である。

関連項目[編集]