デイヴィッド・ハミルトン

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デイヴィッド・ハミルトン(David Hamilton、 1933年4月15日 - 2016年11月25日)は、イギリス出身の写真家・映画監督。

経歴[編集]

ハミルトンはロンドンで育つが、第二次世界大戦の戦火が激しくなる中、学校教育は中断を余儀なくされた。当時しばしば過ごしたドーセット州の田舎は、後の作品に影響を与えた。戦後、ロンドンに戻り学校を卒業した。

彼の芸術的才能は、建築設計事務所で働く間に培われた。20歳でパリへ行き、ELLE誌のピーター・ナップ(Peter Knapp)の元でグラフィックデザイナーとして働いた。成功して名が知られるようになると、ロンドンのQueen Magazine誌の美術監督として引き抜かれた。やがてハミルトンはパリに戻り、パリ最大のデパート・Printempsの美術監督となった。プランタン在職中に商業写真を撮影し始め、ぼんやりとした画像粒子の荒いスタイルはすぐに評価を得た。

年齢が16歳を超えた少女の写真を撮ることに関心はないと語ったこともあるハミルトンは、少女らを被写体としたカレンダー写真や、ソフトフォーカスが特徴のエロチックな映画作品で最もよく知られている。ハミルトンの写真はRealites, Twen, Photoのような雑誌でも需要が大きかった。1960代の終わりからハミルトンの作品は、個性的で他の作家と間違うことの無いようなスタイルになった。独特のソフトフォーカスによるヌード写真は日本でも人気があり、何人かのモデルの写真集を手がけた。

2005年、子どものわいせつ写真を所有していたとして一人の英国人男性が有罪判決を受けたが、彼はハミルトンの著作を所持していた。検察当局は当時、そのうちの一部の写真は「わいせつとしか言いようがない」と指摘していた。

2016年、ハミルトンのモデルを未成年時に務めた女性4人が「性的暴行を受けた」と公表し、世間の注目が集まっていた。これについてハミルトンは「過去にも同様の訴えにさらされたものの容疑は既に晴れている」としてこれを否定し、逆に被害者を名乗る女性らを訴えるとコメントした。

2016年11月25日、フランス・パリの自宅で亡くなっているのが見つかった。情報筋の話では、死因は心不全で、遺体のそばに薬が見つかったという。83歳だった[1]

出版[編集]

  • Dreams of a Young Girl(1971)
  • Sisters(1973)
  • Souvenirs(1974)
  • Twenty-Five Years of an Artist(1993)
  • The Age of Innocence(1995)
  • A Place In The Sun(1996)
  • 風吹ジュン写真集 SILK WIND(集英社<週刊プレイボーイ特別編集> 1982)
  • 美保純/D.ハミルトン(講談社<別冊スコラ4> 1983)
  • 南麻衣子: デビッド・ハミルトン写真集(スコラ 1987)
  • BLOOMING-MINAYO(スコラ 1992)
  • ハーレム-城麻美写真集(スコラ 1995)

フィルモグラフィ[編集]

監督として

  • 1975 : Hildegard Knef und ihre Lieder (フランソワ・レシャンバック、ジェラール・ヴァンデンベルク共同監督/記録映画)
  • 1977 : 『ビリティス』Bilitis
  • 1979 : 『愛と追憶のセレナーデ/幻影に揺れる汚れなき美少女たち』Laura, les ombres de l'été(DVDスルー)
  • 1980 : 『妖しき従姉妹 テンダー・カズン』Tendres Cousines (DVDスルー)
  • 1981 : Un été à Saint-Tropez
  • 1983 : 『青い性/処女喪失』Premiere Désirs (DVDスルー)

出典[編集]