キム・ギヨン

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キム・ギヨン(金綺泳、韓:김기영、英:Ki-young Kim、1919年10月10日 - 1998年2月5日)は大韓民国の映画監督である。韓国映画史上の怪物と言われる。メロドラマ的なホラー映画で知られる。

概要[編集]

1919年10月10日 、ソウル市で生まれる。父親は小学校教師であった。両親は高等教育を受け、芸術に造詣が深かった。子供の頃、一家は平壌に移住し平壌高校を卒業した。キム・ギヨンは音楽と美術、作文で才能を見せる。 高校卒業後に京都に留学経験がある。東京では演劇や映画を数多く見た。1931年のフリッツ・ラングの作品「M」と1930年の映画『モロッコ』に感銘を受けた。1946年に韓国に戻り、国立ソウル大学医学部に入学した。大学在学中にも演劇活動をつづけた。 1950年に国立ソウル大学医学部を卒業し医師の資格を得た。耳鼻咽喉科医師で妻も歯科医師である。1951年にキム・ユボンと結婚した。

1955年『屍の箱』で監督デビューした。初期作品は戦時下や戦後の社会を描いたリアリズムものが多い。1960年の『下女』からは人間のエゴイズムに潜む魔性の美を追求する独自の作風を確立した。1997年の釜山国際映画祭で回顧特集が組まれた[1]

1998年、自宅で発生した火災により妻のキム・ユボンとともに死亡した。

作品[編集]

  • 『屍の箱』1955年[2]
  • 『下女』 하녀((111分) 1960年
  • 『玄海灘は知っている』 현해탄은 알고 있다(117分) 1961年
  • 『高麗葬』 고려장(110分)』1963年
  • 『レンの哀歌』 렌의 애가(103分)』1969年
  • 『虫』女 충녀(116分)』1972年
  • 『破戒』 1974年
  • 『肉体の約束』 육체의 약속(105分)』1975年
  • 『異魚島』 이어도(111分)』1977年
  • 『水女』 수녀(97分)』1979年
  • 『火女82』 화녀'82(122分)』1982年
  • 『死んでもいい経験』 천사여 악녀가 되라-죽어도 좋은 경험(95分)1995年
  • 『屍の箱』 주검의 상자(デジタル)1955年
  • 『誤発弾』 오발탄(108分/デジタル)1961年
  • 『ノダジ』 노다지(128分/35mm)1961年
  • 『死んでもいい経験』1995年


注・参考文献[編集]