アイザック・スターン
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アイザック・スターン(Isaac Stern, 1920年7月21日[1] - 2001年9月22日[2])は、ポーランド出身のヴァイオリン奏者。[3]
クレメネツィ出身。生後10ヵ月でアメリカのサンフランシスコに移住[4]。6歳の時に母クララからピアノを習ったが、通りの向かいに住む友人がヴァイオリンを演奏するのを聴いてヴァイオリンに興味を持つようになった。[5]1930年から1937年までナウム・ブリンダーにヴァイオリンを師事。1934年にはリサイタル・デビューを飾った。1936年にはピエール・モントゥーの指揮するサンフランシスコ交響楽団の演奏会で師のブリンダーと共にヨハン・ゼバスティアン・バッハの二挺のヴァイオリンのための協奏曲を協演。1937年にはタウン・ホールでニューヨークでの初リサイタルを開いた。1939年から興行師のソル・ヒューロックの知己を得てヴァイオリン奏者としての名声を確立[6]。1940年から1973年までアレクサンダー・ザーキンと共演を繰り返した。1943年にはカーネギー・ホールに初登場[7]。1956年にはソビエト連邦を訪問[8]。カーネギー・ホールが経営難に陥った時には救済キャンペーンを展開し、1960年にニューヨーク市がホールを買収するのを後押しし、同年設立されたカーネギー・ホール・コーポレーションの総裁に就任した。1961年にはユージン・イストミンとレナード・ローズとでピアノ三重奏団を結成している。
ニューヨークはマンハッタンの病院で没した[9]。