という意見もあるが
という意見もあるが(―いけん―)とは、エンペディアにおいて、自分の意見を押し通すうえで、他の執筆者の意見が邪魔になる時に使用される言葉。
概要[編集]
エンペディアは自由である。それ故、一種の無法地帯でもある。
そんな場所で、自分の意見を精一杯通したい自己中熱心な人が、この言葉を多用する。しかし、この言葉を使われた相手は非ッ常に嫌な思いをするため、誰を傷付けても構わないというメンタルの強い者や、ナノソレオイシイノな鈍感な人のみ使うことを強くおすすめする。
ちなみに、「という意見もあるが」で検索をかけると23件出てきた。「少ない」と思う人もいるだろうが、今後も増えていくことは確実である。「という意見があるが」では5件、「という意見もあるが」との重複なしでは4件だった。合計27件。
上級者ともなると[1]、自分で加筆した文章(これは米国の政策に由来するものである。
)に1年後にこのワードを付け加える(
「三角関数を高校で学ぶのは、米国の政策に由来するものである。」ともされるが...(以下略)
)という、余人の追随を許さないアクロバットなマッチポンプを行う。
反応[編集]
さて、前述では「これを使われたら嫌な思いをする」とある。具体的にどうなのかを説明しよう。
自分の意見を否定された気がする[編集]
これが一番大きい。大体、「○○という意見もあるが、△△(こっちが主流だよーん)」的な感じになるからである。悪質極まりない嫌がらせである。しかし、この言葉を使用する者はそのことに気付いていない。なので、是非教えるべきである。WINWINである。
マンネリ化する[編集]
「という意見もあるが」は「という意見があるが」に変わる時もあるにしろ、どちらにしろマンネリ化を招く。これは、言葉のボブキャラリーボキャブラリーがない証拠である。大体、「他にも」「別の人は」「諸説があり」「という意見も存在する」などで良いのである。この行動をほったらかしていたら、その記事はおろか、エンペディア全体の衰退に繋がるかもしれない。
支離滅裂な文章になる[編集]
文章が入れ子になった複雑な重文になるため、十分に(激ウマギャグ)検討したうえで効果的に使わないと、支離滅裂な文章になってしまう。
対策方法[編集]
それは一つしかない。
発見したら取り除け