○○をすれば世の中は良くなる

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

○○をすれば世の中は良くなる は、政治家、個人、団体問わず様々な人々が使うフレーズ。

概要[編集]

よくある構文である。○○には既存の物の廃止か新たな物の新設が入ることが殆どである。

現実・ネット上両方でどんな人でも言っている文章である。

現実は[編集]

結論から言うとそんな単純なことで世の中が良くなったら我々は困っていないということである。世の中はそんなに単純ではないのである。

「○○をすれば世の中は良くなる」の主張には主に以下のような問題点がある。

  1. メリットばかりを強調してデメリットについて全く考えていない。
    • いざ実行するとなるとデメリットが多く出てしまい余計に世の中を悪化させた事例がいくつもある。
    • 逆に既存の物に対してもデメリットしか考えておらず、そのものの良さを認知していないことが多い。
  2. 感情論的な内容になっていることが多い。
    • また善悪二元論みたいになっていることも多く、既存勢力を潰したがっているだけということも多い。

このように何かを変えようとしても、そう簡単には変えられないのが世の中である。だからといって変えるのを諦めるのはもっとよくないけどね

主張の度合いについて[編集]

「○○をすれば世の中は良くなる」と主張している人を見かけた場合、どの程度の「強い主張」をしているのか吟味する必要がある。

  • ○○をするだけで世の中はすべて良くなる

これは、まず間違いなく詭弁である。

  • ○○をすれば必ず世の中は良くなる

断言しすぎのきらいはあるが、一つ上のものに比べればそこまで詭弁ではない。

  • ○○をすれば、世の中が部分的に良くなる可能性が高い

これは真っ当な主張である。個別の主張の妥当性についてはまたべつに吟味する必要があるが、主張の方向性そのものにおかしい点はない。

われわれが普段使っている言語(自然言語)はとても曖昧なものであり、こうした「主張のレベル程度」が省略されてしまうことが多い。また、X などの「文字数制限があるSNS」では、言葉を尽くして正確に表現せず、部分的に割愛することもしばしばである。読む側は「この人はどの程度、断定的な強い主張をしているのか?」を常に考え、情報を吟味しなければならない。

「○○をすれば世の中は良くなるという主張を、すべて十把一絡げに詭弁であると見なす」ことこそ、真の詭弁である

とはいえ、X などの魑魅魍魎が跋扈するサイトでは、発信する側も受け取る側もそこまで繊細には考えていられないし、考えていたら日が暮れてしまうのが実情である。