鳴滝塾(なるたきじゅく)は1824年(文政7年)に、シーボルトが長崎郊外に設けた私塾である。京都の適々斎塾(緒方塾)、江戸の芝蘭堂と並び称された。
当時、シーボルトの名声を慕って集まる人や診療希望者が多かったため、長崎奉行・土方勝政(旗本)は鳴滝に塾舎を構え、出張教授することを許可した。 シーボルトは日本人通詞の名義で長崎郊外鳴滝に二町歩余の土地を購入し、母屋二棟と別棟二棟の診療所兼学舎を建てた。出島から通い、医学、自然科学を教えた。