金隆史

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金隆史(こん たかし、1919年8月1日 - 1981年2月5日)は、ミス日本の準ミスと結婚した人物。

略歴[編集]

  • 1919年8月1日 宮城県に生まれる[1]
  • 1941年4月 山県高等学校入学?(年齢があわない気が…)[2]
  • 19??年3月31日 東北大学卒業
  • 1950年12月1日 司法試験合格[3]
    • この年、山本富士子(京都代表)が第1回ミス日本に、田村淑子(東京代表)と三村恵子(仙台代表)が準ミスに選ばれる[4]。仙台市内の写真館には彼女の写真が大きく飾られた[5]
  • 1953年4月8日 - 1954年8月19日 長野地方裁判所/家庭裁判所判事補
  • 1954年8月19日 - 1958年9月29日 仙台家庭裁判所/地方裁判所判事補
    • おそらくこの時期、仙台高等裁判所に勤めるOLだった三村恵子と結婚。知人によると、結婚後の恵子は裏方に徹し、裁判官夫人を立派に務めた[6]
  • 1958年9月30日 - 1961年4月16日 東京地方裁判所/家庭裁判所判事補
  • 1961年4月17日 - 1963年4月7日 最高裁判所刑事局付
  • 1963年4月8日 - 1964年4月15日 最高裁判所刑事局第三課長
  • 1964年4月16日 - 1965年3月31日 旭川地方裁判所/家庭裁判所判事
  • 1965年4月1日 - 1966年6月15日 旭川地方裁判所刑事部部総括
  • 1966年6月16日 - 1969年4月6日 東京地方裁判所判事
  • 1969年4月7日 - 1973年4月9日 司法研修所教官
  • 1973年4月10日 - 1981年2月4日 東京地方裁判所刑事十二部総括
    • 在任中、ロッキード事件全日空ルート(全日空の若狭社長・渡辺副社長ら6人、橋本登美三郎元運輸大臣、佐藤孝行運輸政務次官)の裁判を担当[1]
  • 1981年2月5日午後6時半頃[7] 死去。全日空ルートの判決言い渡しを目前に控えた時期の急死であった
    • 東京地方裁判所の職員用トイレに倒れていたのを職員に発見される。行政解剖の結果くも膜下出血が死因であろうとされた[7]。最後の住所は中野区中央。妻と二人の子が遺された[1]
  • 1981年2月5日 同日付で勲二等瑞宝章を授与される
  • 1981年2月6日 昭和天皇から「お供物料」が贈られた[8]
  • 1981年2月14日 中野区中央の宝仙寺で葬儀・告別式が行われる[9]。服部最高裁判所長官、伊藤法務事務次官ら法曹関係者を中心に約1000名が参列。全日空ルート弁護団も顔を見せたが、若狭被告、渡辺被告は東京地方裁判所職員に丁重に追い返された[9]

出版[編集]

書籍
  • 『金隆史追想集』 金隆史判事追想文集編集委員会、金隆史判事追想文集編集委員会、1983年doi:10.11501/12194383
記事・論文
  • 金隆史「事前準備等に関する刑事訴訟規則の改正」、『警察研究』第32巻第10号、良書普及会、1961年、 3-20頁、 doi:10.11501/2245153ISSN 0287-6353
  • 「ロッキード事件Who's Who--付・読む公判七年史」、『中央公論』第98巻第13号、中央公論新社、1983年、 229-260頁、 doi:10.11501/3365988
  • 金隆史「特集 捜査と人権 供述証拠による現行犯人の認定」、『判例タイムズ』第296号、判例タイムズ社、1973年9月25日、 104-107頁、 ISSN 0438-5896
  • 金隆史、永井紀昭「<刑事法演習3>受命裁判官による証拠調」、『判例タイムズ』第252号、判例タイムズ社、1970年11月15日、 22-30頁。
  • 金隆史「刑事裁判の現状と将来 刑事裁判の機能と将来の方向 保護観察言渡の地域差」、『判例タイムズ』第201号、判例タイムズ社、1967年3月25日、 203-205頁。

田村淑子[編集]

東京代表の田村淑子についても分かる範囲で触れておく。ミス日本当時慶応義塾大学学生。卒業後は北辰電機製作所(横河電機の前身の一つ)の御曹司と結婚[5]、社長夫人となるが彼女個人については情報がほとんど現存しない。ミスと準ミスでこんなにも違うものなのか。人和蓮舫ではないが、第2位ではダメらしい。

出典[編集]

  1. a b c 朝日新聞 1981a, p. 1.
  2. “入学許可”. 官報: p. 457. (1941年4月10日 
  3. “司法試験公告”. 官報: p. 15. (1950年12月1日 
  4. 世相風俗観察会 『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』 河出書房新社、2003年11月7日、40頁。ISBN 4-309-22504-7
  5. a b 週刊新潮 2008, p. 53.
  6. 週刊新潮 2008, p. 53-54.
  7. a b 朝日新聞 1981b, p. 15.
  8. “金判事にお供物料”. 朝日新聞: p. 23. (1981年2月7日 
  9. a b 朝日新聞 1981c, p. 23.

参考文献[編集]

  • “ロ事件全日空ルート 金裁判長が急死 判決かなり遅れそう”. 朝日新聞: p. 1. (1981年2月6日 
  • “くも膜下の出血 死因 金裁判長急死”. 朝日新聞: p. 15. (1981年2月6日 
  • “突然の死悼み千人 ロ事件、金判事の葬儀”. 朝日新聞: p. 23. (1981年2月15日 
  • 「ミスコン100年」美女たちの栄光と転落」、『週刊新潮』第53巻第11号、新潮社、2008年3月20日、 52-55頁、 ISSN 0488-7484NAID 40015899904