衒学趣味
ミステリーのジャンルにおける衒学趣味(げんがくしゅみ)とは、本来「ちょっとしたスパイス」として用いると効果的である専門的な知識を、あえて大量に扱う小説作品のこと。程度が著しい時には変格ミステリに分類される。なお一般用語として「衒学趣味」といった場合には「知識をひけらかす行動・ひけらかしたがる性格」を意味する。
通常の推理小説では基本的な殺人方法・トリック、動機その他は、順を追って読めば大抵の読者に平易に分かるように叙述されている。その中に少しだけスパイスとして専門的・業界的知識を登場させると、探偵役や作家自身の博識ぶりを演出する事が出来、非常に作品全体の興趣を盛り上げる。然しこれらの知識をあまりにも大量に登場させると、そもそもの殺人方法や動機といった基本的な事柄さえ読者は理解できなくなってしまい、作品を楽しむことが出来ない。この一般的な推理小説の枠をぶち破って、あえて専門的知識をひけらかしまくるのが「衒学趣味」というジャンルである。当然ながら大抵の読者にはそれらの知識が意味する所を完全に理解する事は出来ないが、然しながら「大量の知識の海にただただ無闇に溺れる」という別の楽しみ方が生まれるため、やはり小説作品としてこれも成立するのである。
ミステリーとしての特質上、薬物や病気・症状などの専門的知識が扱われる事が多い。また精神科学・犯罪心理学なども時として用いられる。しかし実際には上手くストーリーの骨子にからめさえすれば、ありとあらゆる知識を盛り込む事が可能であり、実際に「衒学趣味の頂点」ともされる『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎著)には、大分類を述べるだけでも薬物学・生理学・心理学・植物学・宗教学・宇宙物理学・建築学・暗号学・紋章学・音楽・数学・歴史その他の知識が余すことなく詰め込まれている。また『殺人方程式―切断された死体の問題』(綾辻行人著)は、本格的な「物理学」の知識を作品の主軸に据えたという点で、非常に特異な、特筆に価する衒学趣味の一作品である。この小説では、高校生でも手に余るような複雑な数式を何ページにもわたって記述して、死体の運搬方法を解説している。