私市円山古墳
私市円山古墳(きさいちまるやまこふん)は、京都府綾部市私市町にある造出し付の円墳である。円墳として府内最大規模。
概要[編集]
円丘の全長71メートル、高さ10メートル、造出しは方形で長さ10メートル、幅18メートルで円墳として府内最大規模の古墳である。円丘は、3段で築成されおり、斜面に由良川の川原石を葺石として敷き詰められ、1段目と2段目の平坦部分には、埴輪が並んでいた。埴輪の大部分が円筒埴輪で、少数の朝顔形埴輪も含まれていた。墳丘部に3基(中央、北、南)の埋葬施設を確認している。中央と北では、組合せ式木棺が置かれていた。南は、木棺の形跡は確認されていない。中央の木棺内から武器、武具類、農工具及び、玉、鏡類などが、北の木棺内からは、鉄剣と胡禄(ベルト付きの矢入れ)がみつかっている[1]。研究者は、埋葬されていた人物をこの地域を治めた首長の墓と考えているが、誰かはわかっていない[注 1]。造出しは、葺石で方形に区画され、家形・短甲形等の形象埴輪や土師器が出土している。
この古墳は、1987 年とごく最近、近畿舞鶴自動車道路の新設の工事中に発見された。大きさや約6万個もの葺石、千個あまりの埴輪での装飾がなされていることから、非常に重要な古墳であったと考えられるが、それまで古墳の存在はわかっていなかった。当初は城跡と考えられていたため、調査後の丘を崩して道路が造られる予定であったが、古墳の発見により、市民や学術団体など各方面からも保存を望む声があがり、古墳の下にトンネルを通す設計へ大幅に変更された[2]。現在は当時の姿に復元され、史跡公園として整備されて、週末の夜にはライトアップ、毎年11月3日には、私市丸山古墳まつりが開催されるなどして、多くの市民に親しまれている[3]。古墳は、丘陵上にあり平地部とは70メートルの高低差があり、ふもとの由良川沿い農地からも望むことができる[4]。古墳が完成した頃も同じように目立っていたことが想像されるが、近年発見されるまで存在が忘れ去られていたことから、隠されていたのではないかと考えられる。
2014年局地的豪雨により、一部が崩落したが、復旧された[2]。
古墳は1994年3月に国指定史跡[5]、出土品は2004年3月に府指定文化財[6]として指定されている。
出土された史料は綾部市資料館で展示されている。
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 物部守屋の墓であるという情報があり、(ソラからの真実の歴史 p.167-p.168)古墳の近くには、綾部市守屋町がある。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 白木妙子 『ソラからの真実の歴史』 ソラ星出版、2006年。ISBN 4-434-07395-8。
- 松本弥 『畿内 古墳探訪ガイド 改訂版 大阪・京都・奈良・兵庫』 メイツ出版、2019年。ISBN 4-780-42276-0。
外部リンク[編集]
- 地域観光資源の多言語解説文データベース 私市円山古墳 - 観光庁
- 文化遺産オンライン 私市円山古墳 - 文化庁
- 綾部市観光ガイド 私市円山古墳
- 私市円山古墳公園 – 綾部市役所
- 国指定文化財等データベース 私市円山古墳
- 京都北部なび 私市円山古墳
- 遺跡編(11)史跡私市円山古墳(綾部市)未盗掘、市民の声で保存 – 京都新聞
- 京都府ミュージアムフォーラム 綾部市資料館
- 京都府埋蔵文化財調査研究センター No.002 私市円山古墳
- 京都府埋蔵文化財論集 第2集 第2部 私市円山古墳と丹波の古墳文化 私市円山古墳
- 京都府遺跡調査概報 第36冊 近畿自動車道敦賀線関係遺跡昭和63年度発掘調査概要
- あやべ市民新聞2004.312
- はてなブログ 墳丘からの眺め 私市円山古墳 京都府綾部市私市町