神保雪子

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神保 雪子(じんぼ ゆきこ、弘化2年(1845年) - 慶応4年8月25日1868年10月10日))とは、幕末の女性である。

会津藩士・井上丘隅の次女、神保修理の妻。美人で知られたが、23歳のとき、会津戦争中に捕虜となり集団強姦されて自殺した。

生涯[編集]

井上家は600石家の会津藩の名門武家であり、父の丘隅も大組物頭という重職についていた。姉のちか子(後の野村ちか子)とともに、雪子は美少女として有名だった。

そして、18歳のときに会津藩士の神保修理と婚姻を結ぶ。修理は優秀な人物で、相思相愛の仲だった。だが、修理は藩内の権力闘争に敗れ、1868年2月に自殺させられる。

同年8月23日の会津戦争が勃発し、新政府軍が会津若松城下に満ちると、23歳の雪子は実家に戻ろうと試みたものの父から婚家へ戻るように拒絶され、運悪く神保家へ戻ることもできなかった。その後、雪子は婦女隊に参加して、新政府軍と戦うものの、敗れ大垣藩兵の捕虜となった。

捕虜となった雪子はその場で兵たちに陵辱を受けた。美しかった雪子は、兵らによって会津坂下長命寺に監禁されて輪姦され、衣服がぼろぼろになるまで犯された。数日にわたってレイプされた雪子は、8月25日、土佐藩吉松速之助と出会う。衣服は乱れ、あられもない姿になった雪子は、吉松に「照姫様を守護するつもりだったのにこのようなことになってしまった」と語り、短刀を乞うて自決したという。

会津若松城下では他にも多くの女性が強姦され、妊娠した。

小説[編集]

  • 中村彰彦『修理様 雪は』中公文庫、2010年 - 神保雪子が夫を失い、会津戦争でレイプされて死ぬ様子を描く

テレビドラマ[編集]

関連項目 [編集]