相鉄3000系電車

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相鉄3000系電車(そうてつ3000けいでんしゃ)とは、かつて相模鉄道に在籍していた通勤型電車の1形式。当初は旧型国電の寄せ集めという感じであったが、車体更新で3010系、さらにカルダン駆動化とVVVF化が行われて再び3000系となるなど、ある意味日本屈指の最強車両となっていたが、残念ながら1999年に廃車となった。

登場の経緯[編集]

相鉄では1940年代から50年代にかけて戦災復興のために多数の車両がかき集められたが、20m級の国電型車両についてを3000系とした。全部で9両が存在したが、雑多な車両メーカーにより復旧されたため、形態は車両ごとに異なるものとなった。

車両別概説[編集]

モハ3001 - 03およびクハ3501 - 03(クハ3503は後のモハ3006)
戦時中、大東急に払い下げられた元63系電車の1800形のうち、モハ1806 -1808およびクハ1856 -1858を1947年に正式に譲受し、1951年にクモハ3001 - 03およびクハ3501 - 03に改番したもの。主電動機は国鉄制式の128kW級吊り掛けモーターMT30を使用していたが、一度モワ1形ED10形に供出されて100kW級の主電動機を搭載したものの、最終的に142kW級のTDK-544系主電動機に統一されている。
1960年にはクハ3503が電装され、モハ3006となったが、1964年から1965年の更新時には台枠を除いた車体を載せ替えられている。
モハ3004
戦災廃車となった国電であるモハ60のうちの1両を、1949年に車体修理したモハ1307を出自とする。扉数は片側3か所となっていた。1965年の更新時には台枠を含めた車体を載せ替えられている。
モハ3005
事故廃車となった国電であるサハ48のうちの1両を払い下げられ、1953年に3扉の両運転台車として竣功したもの。1966年の更新時には台枠を含めた車体を載せ替えられている。
クハ3504
上記の6両の1800形とは別に63系のモハ63056を事故廃車後に修理して1952年に竣功したもの。上記の6両ともやや形態は異なった。1965年の更新時には台枠を除いた車体を載せ替えられている。

電動車については1960年までに主電動機や台車をTDK-544系およびTS-108に統一されている。

3010系への更新[編集]

1960年代半ばに入ると後に登場した5000系6000系に比べて車内設備が見劣りするようになったため、車体更新の対象となり、1966年までにすべての車両が6000系に準じた車体に載せ替えられた。うち旧63系でない2両については台枠も含めて新造している。

これに完全新造のサハ3514を加えた10両が3010系となり、6M4Tで編成を組んだ。

更新後の構造[編集]

車体は6000系に準じた20m4扉の鋼製車体だが、尾灯が種車から流用した丸型のものとなっていたり、車高がやや高かったりなどの差異がある。主要機器は1960年までに更新された状態を当初は保っていたが、サハ3514のみ空気ばね式のTS-323形を当初から履いている。

ブレーキ方式は自動空気ブレーキに統一されていたが、サハ3514のみ6000系との混用が可能な構造であった。

形式はモハ3010形6両、クハ3510形3両、サハ3510形1両にまとめられており、うち運転台のない完全な中間車はモハ3012, 3013, 3015, およびサハ3514のたった4両だけであった。

3010系としての改造[編集]

1968年にはクハの台車を流用品のTR25Aから東急車輛製のTS-323Aに交換された。1977年にはブレーキ方式を日立式電磁直通ブレーキに改造された。

3010系としての運用[編集]

末期は10両固定編成を組み、時に2両を抜いた8両編成で運転された。

編成構成はMc-T+Mc-Tc+Mc-M-M-Tc+M-Tcを基本とし、Mc車はすべて海老名寄り、Tc車はすべて横浜寄りに運転台を備えていた。

2代目3000系への更新[編集]

2100系が直角カルダン駆動に更新されると、本系列は相鉄で唯一残る非冷房車かつ吊り掛け駆動方式の車両となっていた。そこで1986年から1987年にかけて全車が東急車輛に送られ、高性能化と冷房化が行われた。これは同時にVVVF化まで行われるというなんとも化け物な改造となっていた。

晩年の構造と活躍[編集]

車体はそのままだが、主要機器は付随車の台車とブレーキ方式以外すべて一新され、直角カルダン駆動方式のGTO-VVVFインバータ制御となった。また、この過程で2両の電装解除が行われ、うち1両は2100系のカルダン駆動化後ずっとストックしてあったTS-325形台車を履いた。

主電動機とVVVFは3両が180kW級の東洋製、1両が170kWの日立製となっており、これが原因で加減速時の若干の衝撃があったことも確認されている。

編成としては、1M2Tの3連、1M1Tの2連、2M3Tの5連にまとめられ、この3本を海老名側からこの順に組み合わせて10連を組んだ。日立製のVVVF車は2M3Tの編成の2両目で、8両編成で代走を行う際にはこの車両と同じ編成の1両目を抜いて運用されたが、加速度が劣るものの、むしろバランスがとれて運転しやすかったようである。

1998年、相模大塚駅構内で脱線事故を起こしたが、一部車両の床下機器を大きく損傷したこと、かつ1系列1編成の存在だったことから、8000系の8713Fに代替される形で1999年に廃車解体され、本系列は形式消滅となった。ただし、この時点でいずみ野線延伸開業に備えて本系列向けの湘南台の方向幕も用意されていたが、結局搭載には至らなかった。

関連項目[編集]