無意識
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無意識は、「識閾下の」の同義語とされるが、「識閾」には
- 意識の及ばない部分
- 感覚の及ばない、感覚強度が識閾未満である部分
という、少なくとも二つの意味がある。
概要[編集]
「無意識」を心理学の概念とした押出したのはジグムント・フロイトである。無意識に関する心理学的な理論についてはカール・グスタフ・ユングも著名である。「“無意識”を重要視した心理学」は、「フロイト学派」と「ユング学派」に分類されることもあるが、近年ではさほどの区別はされていない。両者を総括して「超越心理学」と呼ぼうという意見もあるが、「超心理学(パラサイコロジー)」と誤解されるとか、「“超越”の語はユング派において用いられる」といった理由から一般化はしてはいない。
日本では「フロイト派の岸田秀」「ユング派の河合隼雄」がよく知られている。
人間生活との関わり・利用[編集]
「精神分析」という言葉は一般的であるが、フロイト派とユング派とでは、「治療」というアプローチを取ることの多いフロイト派と、「無意識との和解」というアプローチを取ることの多いユング派に分類されがちである。この両者のアプローチを「和解」させることを試みたのがアドラーであり、「要するに、“人兼関係による悩み”を解消することがカウンセラー」だという立場である。
氷山のシェーマ[編集]
人間の自己(セルフ)は氷山(北方洋型)であり、表面に出ているのは「氷山の一角」であるというシェーマ。
水面上に出ている部分を「自我(エゴ)」、水面下にあるのが「エス」であるが、その境界に「前意識」があって、そこには「検閲機構」があって意識に漏れ出さないようにエスからのメッセージを抑圧を抑圧している、とする。酒はこの検閲機構を弱める作用があるとされる。
これに対して、意識と無意識の間のホットライン的なものがあり、それを「超自我(スーパー・エゴ)」という。