永楽の瓜蔓抄

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

永楽の瓜蔓抄 (えいらくのつるまくり)とは、永楽帝の行った粛清のこと。単に"瓜蔓抄"とも。

永楽帝は甥の建文帝を打倒し(靖難の変)、皇帝に即位した。名君としても知られた彼だが、極めて残虐な面もあった。

すなわち、建文帝の側近たちの一族・関係者を大量に虐殺したのである。一人が罪を得れば、その遠縁の親戚まで容赦なく惨殺された。これが芋づる式に多くの人を処罰されたということで、つるまくり"と呼ばれたのである。

方孝孺斉泰黄子澄鉄鉉をはじめとする建文帝側近の名臣たちが殺され、その家族や使用人、門人たちも犠牲になった。

また、建文帝側近の家族女性たちは、別の面から残虐な扱いを受けた。すなわち、強姦されたのである。彼女たちは「官妓」、すなわち公的な売春婦に落とされた。

『奉天刑賞録』の「教坊録」には「永樂十一年正月十一日,本司鄧誠等於右順門里口奏,有奸惡齊泰的姐並兩個外甥媳婦,又有黄子澄妹四個婦人,毎一日一夜,二十條漢子守著,年小的都懷有身孕,除夕生了小龜子」とあり、斉泰黄子澄の家族の女性たちが毎日20人の男性に犯され、妊娠したことが記されている。他にも「永樂二年十二月教坊司題:卓敬女、楊奴牛、景劉氏合無照,依謝升妻韓氏例,送洪國公轉營奸宿」とあるように、多くの女性が売春宿に送られ、性的奉仕を強いられた。

関連文献[編集]

  • 檀上寛『永楽帝』