森田久 (画家)

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森田 久(もりた ひさし)は、大正~昭和期の画家。雑誌・文庫の口絵や挿画を描いた。いわゆる池袋モンパルナスの一人。森田 ひさしと表記されることもある。

概要[編集]

現在では一部の好事家だけから評価されているマイナーで古い画家のため、詳しいことはあまり知られていない。

毎日新聞社会部記者、宝塚歌劇団美術部長、日比谷東宝劇場美術部長などを歴任した。昭和2年には宝塚少女歌劇団の『モン・パリ』(WP)の舞台美術を担当した。この作品の成功などによって資金を得た森田は、西池袋の要町付近のアトリエ村「すずめヶ丘」に洋館を建て、芸術家たちに貸し出した。少なくとも1930年に、独立美術協会の斎藤求が貸家に入ったことが確認されている。これが、いわゆる池袋モンパルナスの文化の発展・隆盛に寄与することとなった。

当時の少女・婦人系雑誌などに多く寄稿している。大正浪漫を感じる抒情的な画風であり、女性をモチーフとしたものも多い。当時の女性たちから一定の支持があったと思われる。(たとえば『女学世界』1921年新年号に読者からのお便りとして森田の絵を称賛したコメントが2件確認できる。)

「森田ひさし」表記のサインを多く用いている。恐らく、本名が「森田久」であり、芸名として「森田ひさし」を用いていたのではないだろうか。

あまり数は多くないが、ネット上でもいくつか森田久の絵を見ることができる。

ネットで見れるのはこのぐらいの数が限界であろう。

池袋の八勝堂書店では、2012年7月26日~8月8日まで、森田久の特別展示会が行われていた。(リンク)