森有礼

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森有礼(もりありのり、1847年8月23日 - 1889年2月12日)は明治の政治家、外交官、文部大臣[1]

経歴[編集]

  • 弘化4年(1847年)、薩摩に生まれる[2]
  • 1860年、造士館で漢学を学ぶ。
  • 1864年、藩洋学校開成所に学ぶ。
  • 1865年(慶応元年)、藩の留学生として英国に留学。
  • 1868年(明治元年)、帰国、新政府の徴士。
  • 1875年(明治8年)、私塾・商法講習所(一橋大学の前身)開設に参画する。
  • 1885年(明治18年)、第1次伊藤内閣の下で初代文部大臣に就任
  • 1889年(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法公布の日、排欧主義者西野文太郎に襲われ、翌日死去。

脚注・リファレンス[編集]

  1. 斉藤泰雄(2017)「初代文部大臣森有礼におけるグローバリズムと国家主義」教育研究 (59)、pp.149-1573
  2. 犬塚孝明(1986)『森有礼 (人物叢書 新装版)』吉川弘文館、ISBN-10: 4642050787