桑田泰次

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桑田 泰次(くわた たいじ、1943年1月17日 - 2010年1月17日)は、日本の野球指導者、著者。息子は元プロ野球選手である桑田真澄

概要[編集]

1943年に親の仕事の関係で中国天津にて誕生。建築資材関係の仕事に携わりながら、ボーイズリーグ浜松ジャイアンツ」の代表を務めていた。静岡県浜松市在住であり、死去する3、4年前から現在の自宅兼店舗を借り受け、喫茶店の店主を務めていた。

自宅火災による焼死[編集]

2010年1月17日午前4時20分頃、1階の店舗から出火し、2階には泰次と女性がいた。女性は「(帰宅する為)タクシーを呼んでください」と言い、泰次がタクシー会社へ電話をする為扉を開けた際に部屋中に煙が入り、煙を吸い込んだ泰次はソファに倒れこみ、火事に気づいた女性は窓を開け助けを求めた。女性は隣人が出したはしごで救出されたが、泰次は逃げ遅れ焼死、67歳没。この日が誕生日であった。真澄は17日正午に身元確認の為対面し、「今年は(早大)大学院を卒業した後に父と1年間、ゆっくりしようと計画していた。最後にもう1度、キャッチボールがしたかった。非常に残念だ」とうつむいていた。

関連項目[編集]