桃山建築(ももやまけんちく)は、中世から近世への過渡期にあたる建築様式。桃山時代様式等とも呼ばれるが、日本史の歴史区分である桃山時代とは異なるので注意が必要である。
豊臣秀吉が政権を掌握した天正10年(1582年)からとするのが普通で、太田博太郎は明暦の大火で江戸が焼失し、華美な建築が規制される明暦3年 (1657年) までの建築とした。なお、文化庁では豊臣政権の建築様式であるとして豊臣家が滅亡する慶長20年(1615年)までとしている。