本法寺 (松戸市)

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本法寺(ほんぽうじ)は、千葉県松戸市和名ケ谷の日蓮宗の寺。

歴史[編集]

大同2年(807年)弘法大師空海が和名ヶ谷に創設した浮ヶ谷山通源寺が起源。その後に真言宗から天台宗に改宗された。建治3年(1277年)伊豫阿闍梨日頂(1252年-1317年、日蓮の弟子で六老僧のひとり)が日蓮宗に改宗、頂昌山本法寺と改名した。前身の通源寺の住職は日頂の法弟となり但馬阿闍梨日宣と改名し第1祖になる。以降、開山を伊豫阿闍梨日頂、開基を但馬阿闍梨日宣とする。その後、真間山弘法寺を退隠した日頂は、正応5年(1292年)から永仁2年(1294年)の3年間、本法寺で妹の乙御前と共に居住し下総の布教活動をした。天文7年(1538年)旧暦10月7日に、小田原の北条氏綱、北条氏康親子と安房、上総の里見義尭、足利義明との戦い、鴻之台の役があり、里見軍の陣があった本法寺は北条軍により焼かれ、七堂伽藍は、釈迦如来堂残して焼失した。その後、焼け残った釈迦如来堂を基盤として現在地に移転再興された。